愛を繋ぐ
「お空にいっちゃう」
死ぬという言葉の意味がわかっているお子だけど、なんとなくその言葉を使いたくなくて「お空にいく」と言っている。
お子はまだ3歳だけど、すでにご近所のおばちゃまと、実家のワンコと、2度別れを経験した。
おばちゃまにはよく道端で会ってお話ししたりハイタッチしたり、とても仲良くしてくださっていた。裁縫がお上手で、お手製のパンツをもらったことも。
最近会ってないことに気づいたお子に「お空に行っちゃったの」と説明すると「◯◯もお空にいってみたい」と無邪気なお子。
翌日棺桶にいれるお手紙を書かせようと「お手紙書いて××さんに渡してもらおう」と言うと、「××さん(お手紙を預かってくれる人)はお空にいけるの?」と言われて、なるほど!そうなるか!と膝を打った。
そうだよね、渡すっていっても、お空にいるおばちゃまにどうやって?って思うよね。
何度かやりとりを重ねてやっと、「お空にいく」とはもう会えなくて、むこうはお空からこちらを見ているけど、こちらからはその姿は見えないことなんだと理解。
何でお空にいっちゃったの?と聞かれたので、「病気に負けちゃったのよ」「何でもよく食べてよく寝たら病気に負けない体になるからね〜お野菜も食べようね〜」となんでも教育につなげるのは、母親の悪いクセですね。
どうしたらお空に行かない?
ワンコが亡くなったときは「お空にいっちゃったね」「会いたいけど会えないもんね」「お空でおばちゃまと会ってるかな」とお話ししてくれた。
かくいう我が家のワンコも立派にシニアに仲間入りして、なんとなく「◯◯ちゃんもいつかはお空にいく」ということをそれとなく話すと、「だめ!◯◯ちゃんがお空に行きそうなら脚を掴んでいかせないようにする!」
こりゃまた一本取られた!
そうだね、風船みたくふわふわ飛んでいく前に脚を掴んでおけば安心だものね、、、
お子の想像力はすごいな
避けられない運命
感心する反面、「カカやトトはお空に行かないよね?」と言われてドキッ。
そりゃ当分というか、あなたが成人して、社会に出て、親子というか、人と人として対等にいろいろ話したり買い物したり料理作って食べたり、なんかそんなことをするまでは元気で生きていたいとは思うけれど、いつ病に侵されたり、事故に遭ったりなんか予想もつかないが可能性はゼロではないわけで。
なんか曖昧なリアクションしてたら、ホロホロと泣き出すお子。「ごめんごめん!大丈夫だよ、ずっと一緒だよ〜」と、大きな声でこたえながらぎゅっと抱きしめる。
抱きしめながら、また思いをめぐらせる。
こうやってずっと抱きしめていたいけど、そんなことは無理なわけで。長く健康で居続けるのも、発酵食品食べて足元温めてよく寝てよく笑って、そうやっていてもいつかは先にお別れしなければならないわけで。
であれば、親であるわたしは何を願うのかというと、お子を全力で愛してそしてお子が全力で愛せる「誰か」が現れるのをこの目でしっかりと確かめてから死にたい。
それが女なのか男なのか、年上なのか年下なのか、日本人なのかそうでないのか。そんなことはどうでもよくて、「ひとりじゃない」そう思えるあたたかいものを胸に携えて生きていける、今のわたしのように、確かな存在がこの子の前に現れてほしい。
そうか。そうやって「愛を繋いでいく」、これこそが自分の生きる意味なんじゃないかと、ふと壮大なテーマに行き着いてしまった。
涙の跡を残してすやすや寝息をたてるお子をじっとみつめながら、我の涙も拭い、ふと湧き出た途方もない恐怖は闇に紛らわせて、温かい手を握り眠りにつく。
すごいな、育児って。こうやってわたしはもう何度もお子のおかげで「真理」にたどり着いている。使い古された言い回しだけど、子ども(児)を育てているんじゃなくて、子どもに育てられてるんだ。
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