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彫像の心について─守屋貞治の石仏
夫より段々思ひ
しあんなそ
めくらし 色々
と 工夫をなし
誠にけふの御勤め
而巳斗 外に
何と思ひ付事も
あらむこそ
唯けふ晨を
勤けふの日行斗
高遠石工は、信濃国高遠(現長野県伊那市高遠町)の石工集団で、その中でも有名なのが守屋 貞治(1765年 - 1832年)との事で、その作品が集まっている伊那市高遠町の建福寺へ行ってきました。由緒や詳細は石仏探訪様のサイトを参考にさせて頂きました。
佉羅陀山地蔵大菩薩
貞治の作品としては大きなもので、蓮弁や敷茄子の精巧で緻密な表現が年月の経過を思わせない状態で見る事ができます。
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特に表情と指の表現は、石仏らしからぬ柔らかさを感じます。
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建福寺の願王地蔵尊
諏訪の温泉寺にも願王地蔵がありますが、こちらは福建寺のもの。やはり眉間から頬への稜線と肩から膝、手首へかけての稜線がとても優しく温かい印象があります。
貞治に大きな影響を与えたのが、温泉寺(現諏訪市)の住職・願王和尚です。若き貞治は、温泉寺で願王和尚に仕え、雲水として仏道修行に励んだと伝えられています。貞治の石仏が全国的に分布するのは、彼の石仏を礼賛した願王和尚が、全国各地の布教先で貞治を推薦したためとされています。
https://www.inadanikankou.jp/special/page/id=1318
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建福寺の六地蔵
見学時は貞治の作品だと思っておらず、後で調べて分かりました。三十三観音と同じような覆屋に納められています。28歳の頃の初期の作品との事で、あまり評価は高くないようですが、実は一番心惹かれた石仏でした。
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【六地蔵】…六道のそれぞれにあって衆生の苦しみを救う6体の地蔵菩薩。生前行為の善悪によって、人は死後に、地獄・畜生・餓鬼・修羅・人・天という六道の境涯を輪廻、転生するといわれるが、そのそれぞれに衆生救済のために配される檀陀・宝印・宝珠・持地・除蓋障・日光の六地蔵をいう。
https://www.inadanikankou.jp/special/page/id=1325
無骨で中途半端に観える石仏ですが、もともとそういった作品のほうが好きな自分にとっては、優美や柔らかさとは違って、『石仏』としての生々しさが、どこか貞治の気持ちを感じ取れる印象を持ちました。形の節々に作者の見ている場所が感じ取れるといいますか、石を前にノミを持った彼の姿が想像できる感じがしたからです。28歳といえば、江戸時代の寛政5年前後、貞治の記録が少ない時期になります。寛政の前の天明年間には大飢饉や、浅間山の噴火、京都大火など起こり世の中が不安定の中、封建的社会構造の維持のために行われた寛政の改革の年にあたります。
冒頭に表示している彼の気持ちに、少しだけ寄り添う事ができたように感じました。