名張と能楽第五回ー観阿弥生国論再検
観阿弥は昭和49年までは、伊賀で生まれたと認められていました。それが香西精氏が昭和49年に発表した「観阿弥生国論再検」(『能楽研究』一号、昭和四十九年)で、観阿弥の生国は大和(奈良県桜井市山田)であるという説を出され、これが現在の定説です。
観阿弥の系図は古来、二種類あり、室町中期から江戸時代を通じて信じられてきた系図が『観世小次郎画像讃』です。観世小次郎信光は、世阿弥の弟、四郎の長男(音阿弥)の七男で大鼓打ちでした。「画像」は現存していませんが、「画像讃」は禅僧の景徐周