![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/148696945/rectangle_large_type_2_c983786f0d8f4b1ee2e68051112c3e99.png?width=1200)
嫌。
嫌われる、嫌う。
って何だろう~?とネットで、ググってたらこんな記事が出てきた。
↓
「嫌」は女が安定の意味で
兼はかねるの意味を持った組み合わせの漢字。
そんな安定が兼(2つにまたがっている)の状態になるため
心が安らかではない、切れるということから
きらい・うたがうということになった
【「嫌い」はなんで女がはいっているの??】|ku (note.com)
(※↑参照、note記事)
女性のイメージが、まぁ、女性性ということで安心、安全、母なる大地みたいな感じでしょうかー。
その「女」に、「兼」文字が入ってますけど、
その兼の意味は・・・
【二つ以上のものを一つに合わせる】という。
なるほどぉー。
昨今では、女性性の時代と言われてますが、
それが真の女性性そのものになるために、2つという分離したものが1つになる時代に差し掛かっている、と感じた。
それは、
「心そのもの」と「自我(エゴ)そのもの」と別れている、この2つ。
その「心」と「自我」が1つになるために、嫌う、嫌われる、という人間が1つになる(悟り、真理そのものになる)
機能が備わっているだけ。
ほー。
人類800万年の歴史で争い、摩擦、衝突、戦争が絶え間なく続くのは、
1つになるためだったんだー。
その1つになるための間、通過する儀式みたいなものが、嫌う、嫌われる、という自己否定のスイッチだったとは。。。。。
なので、今後は、嫌われた、嫌った、という嫌な人間関係に出くわした時には、
現象面を変えようとするんじゃなくて、自分の中にある「嫌」われた、「嫌」ったと言うスイッチが入った、と自覚をし、
本当の心そのもの(真理そのもの)と、今の自我(エゴ)が分離しているから、
不安定なんだね、と新しい解釈をしよー。
そして、分離しているところから、1つになり、その分離「をも」(錯覚として)整理した時に、
心と自我(エゴ)が分かれているんだけど、実は別れてない、1つなんだ、という
悟りの境地に達する。
宗教を10年以上やり続け、宗教の限界を感じ、インドに悟りを開きに言ったけど、いわゆるインドの受け身の悟りにも限界を感じ、
今は、「動的」つまりは、コミュニケーションしながら、歩きながら、生きながら、悟りを今ここ、イメージできる
nTech(認識技術)を活用し、真理1つから、分離を楽しめる、クリエイトできる人を増やして、それを世界経済の超活性化をしようと、
もくろんでいるので、興味ある方は、ご連絡をばー。
以上、話しがちょっと脱線したけど、「嫌」について、真理に導くスイッチだよね、やっぱり!という内容を今日は、
つらつらと、したためてみた。