「君がいま恐れていることはみな、いつかは起こりうることだと思うのです」
首相が暗殺されたり、隣国が戦争を起こしていたり、世界的に疫病が流行したり、大災害が続いたり。
まったく、不穏な世の中になったもんです。
おまけに、未来はぜんぜん予想がつかない。
いま自分のしていることが将来を約束してくれるなんて到底思えない。
さて、どうしたもんかという話ですが、
こういうとき頼りになるのは、何千年も生き抜いてきた知恵です。
さあさあ、よってらっしゃい、見てらっしゃい。
本日ご紹介するのは、ローマの哲人セネカの言葉だよ!
<その不幸、全部起きると思え>
地震、戦争、鬱病、癌、愛する人との別れ・・・。
偶然の不幸について考えると、夜もおちおち眠れないという人もいるかもしれません。いっそどこまでも能天気になれたら。
そう思う人もいるでしょう。
実際、まれにしか起こらないことを毎日心配して寝つきが悪くなることほど煩わしいことはありません。
しかし、セネカは言います。悪いことは全部起こると思え。そして、来るなら来いと思え。
この忠告は的いているように思います。
なぜって、僕らが生きるのは、古代ローマとは違い、人生100年と言われる時代です。
そして、歴史上のどこの100年を切り取っても戦争や大災害が全くなかったことなんてなさそうなのを考えれば、僕らはあらゆる災禍に直面すると思っておいた方がいい。
それに、考えてもみてください。
グローバル化した社会ってのは、世界のどこかの問題が、ろくに薄められもせず全世界に波及するということです。どこぞの先進国で正気じゃないトップが当選したらすぐ一大事です。
これから100年にもわたって、先進国のどこにも、正気とは思えない首脳が1人も当選せず、当選しても恐ろしいことをせずに済むなんてことは奇跡では?
<こんなことを恐れていたのか?>
個人レベルの話にしても、僕らはきっと長い生涯で無一文になることも餓死しそうになることも経験する可能性はあるのです。
うーん、嫌な気分になりますね。
2000年前にセネカの話を聞いた人もも同じことを思ったでしょう。それに対し、彼はこんな修行を勧めています。
最低辺の暮らしを、たまにあえて経験するようにしておけ。そうすれば、ほとんどの出来事が儲け物だと感じられる。
そんなことを述べています。
まあさすがにこんな修行をするのは現実的ではないかもしれませんが、たとえば、1ヶ月間いつもの半分の額で生活してかつ楽しもうとしてみるみたいなことはやる価値があるんじゃないでしょうか。
お金と幸せが正比例しないことを、定期的に体感として確認しておくといろんなしがらみからより自由になれると思います。
<利用すれども奴隷にならず>
足るを知る。
ほぼどんな状況でも充足を得られるようにしていれば、あなたの幸福度の下限はプラスの側にとどまります。
でも、なんか厳しいし、考え方が貧乏くさくね?
そう思った方、ちょっと待ってください。
ここまでが前半です。
先ほどの章で紹介したセネカの言葉を見て、みなさん、セネカがどんな生まれや身分で、どんな暮らしをしていた人だと思いますか?
おそらくみなさんの予想に反し、彼は裕福な家で生まれ、本人も大変な財産家です。絶頂期には、政治の中枢にいたり、ローマ皇帝の家庭教師だったりしています。
彼はあえて数日貧困に身を置いて心を鍛えはしても、進んで財産を捨て去ったり権力を持つことを拒否したりはしませんでした。
なんだか嘘をつかれた気になる人もいるかもしれませんね。
しかし、彼が真に偉大なことを成せたのは、いつすべてを失っても自分は楽しく生きていけるという自信をたしかに持ったまま、財力や政治権力を持ったからです。
彼は自らの地位や財を利用することはあれども、その奴隷にはなりませんでした。
じっさい、彼は7年ほど島流しにもあっていますが、自分の信条を貫き、その間も哲学的思索を深め続けています(そのあとでまた政治の中枢に戻されている)。
<趣味を大事にせい>
すべてを失っても大丈夫。
それでも楽しみを見出す術を私は持っている。
セネカにはそういう自信がありました。
これぞほんとの自由。
ではなぜ彼にはそんな自信があったんでしょう?
もちろん、あえてホームレスになる修行をした成果もあったのでしょうが、より本質的には、外的なことがどうあれ楽しみや生きがいを見出す力を育んでいたからです。
かんたんに言えば、思索するという趣味を育てていた。
趣味とは、無根拠にやりたいからやる、やるなと言われてもうずうずして隠れてやってしまう。そういう行為です。
別に誰の役に立たなくてもいい。お金は出ていく一方で、人には苦笑されるようなものでもいい。
上の3つを満たしたような行為です。
これを持っているかどうかで、不確実性に対し強い心でいられるかが変わってくる。
すること自体が喜びだから、
過剰に見返りを求めない。
上達することが嬉しいから、
頼まれなくても時間をかけ、腕を磨く。
他者の声に惑わされないから、
強い信念を持っているように見える。
セネカが偉大な哲学者になれたのは、まさに彼にとって哲学がこうしたものだったからでしょう。
趣味は続けているうち、たまたま誰かの役に立ち、仕事になることもあるかもしれません。
が、そうでなくても一向に構いません。
より本質的な価値は、趣味のときのその姿勢です。その姿勢こそが自由だからです。
究極的には、仕事も人間関係もそういうマインドで動く比重が増えれば幸せな人生に近づくのかもしれませんね。
最後に、セネカの言葉を。
ではでは〜
個人の面白がれること(趣味)を発掘し、それを高めていくサポートをするコミュニティスペースを運営しています。
https://banca.wraptas.site/ea2372dbee244edaa7937e55f9939288