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▽ 新しい仲間と哲学対話、開始!

 前年度に中学3年の授業を担当して、彼らの一部と哲学対話を始めたのが去年の10月。4月に彼らが高校1年になって、私は高校1年を担当しないことになったけれども、哲学対話は続けている。
 ところで、私が今年度に授業を担当しているのは高校2年。そこで高校2年生に声を掛けて、何はともあれ試運転してみることにした。


試運転、開始!

参加者5名 6/19(水)15:30〜16:20

 試運転(2024.6.19)に集まった生徒は4人、私を合わせて5人で哲学対話が始まった。
 さて「何をテーマに話をしようか?」 何となくの流れで、それがその日のテーマになった。次の機会に話し合うテーマだ。6つの案が上がった。

  • AIとうまく付き合うには?

  • 人間らしさって何だろう?

  • 対話って何だろう? 対話に何を求めるか?

  • AI時代に私は何を学ぶべきなのか?

  • 思いやりとは「・・・」である

  • 自己主張って何? ダメなものなの?

 そこで、1人2票で投票して決めることにした。なぜ2票かと言うと、「自分が提案したものに1票入れる」と想定して「それ以外の案にも1票入れよう」という考えからだ。 結果は「5人×2票=全部で10票」のうち、上に書いた順に「0票、4票、2票、3票、1票、0票」となって、初回の哲学対話のテーマは「人間らしさって何だろう?」に決まった。
 次回は1週間後の同じ日(6/26 水)の同じ時間(15:30〜)に同じ場所でやることにした。それまでにみんながそれとなく考えることだろう。「人間らしさって何だろう?」と。

人間らしさって何だろう?

参加者5名 6/26(水)15:30〜16:35

 今日(2024.6.26)から本格的に哲学対話が始まる。初回のテーマは「人間らしさって何だろう?」。1週間前(2024.6.19)に決めたものだ。

(↓ こちらをご覧ください)

 1時間ほど話して、次の形に収まった。

人間が求めているもののうち、機械にとって代わられていない部分に人は「人間らしさ」を感じているが、今はその部分がどんどんAIに侵食されている。今後は、人が感じる「人間らしさ」とは「頭の中にあるぼんやりした(もしくは直観みたいな)もの」になっていくのではないだろうか。

納得。。。満足。。。

限りある人生、何をする?

参加者4名 6/29(土)13:00〜14:50

 初回の「試運転」(テーマ決め)に続いて「人間らしさって何だろう?」をテーマに対話しばかりなのに、もう1学期が終わりに近づいてきた。1学期の期末試験1週間前を避けながら、もう1回やるとなると、土曜日にやるしかないということで、2回目をやった3日後に再びやることにした。
 話し合うテーマについては、その場に案を持ち寄って、短時間の話し合いで「限りある人生の中で何をするか?」に決まった。

(↓ こちらをご覧ください)

 前回より長く、2時間近く話して、次の形に収まった。

限りある人生の中で何をやるか?
時間的な制約があるから、やりたいけれど出来ないものがたくさんある。だから、自分が出来ることを精一杯行い、楽しさと共に誰かにバトンを繋いで行く。

 整理ながら改めて思うのは、上の文章の「楽しさと共に」だ。とって付けたように見えなくもないが、これが大事な要素だと恐らく参加者みんなが考えていた。次回は2学期に、またよろしく!

教育実習生とAIを語る会

 今年度、高校2年生と哲学対話を始める直前に、実はちょっと雰囲気が似ているような企画をした。それが、これ(↓)。

 学校に今年も教育実習生がやってきて、彼が「大学でAI(機械学習)について研究している」という話を聞きつけて、放課後に「AIを語る会」なるものを開いた。
 その流れもあって、初回の哲学対話のテーマがAI寄り「人間らしさって何だろう?」になったということもあっただろう。
 「なんでもやってみればつながるもんだ」と改めて思う。

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   〜 新しい仲間と哲学対話、開始!
    ▷ 人間らしさって何だろう?
    ▷ 限りある人生の中で何をするか?
    ▷ 教育実習生とAIを語る会


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