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哲学対話「そろそろ学校、変わろうよ!?」
参加者7名 1/16(木)15:15〜16:40
前年最後(2024.11.28 木)の哲学対話で7つの問い(モヤモヤ)を出した。年明け最初の哲学対話でそのうちのどれか1つで話し合うことにした。
▷「分かる」とはどういうことか?
▷「老いる」とは何がどう変化することなのか?
▷「ホント」って何だろう?
▷「多様性」って何? どう向き合えばいいの?
▷ 4年後の私
▷ 将来どうやって生きるのか?
▷ そろそろ学校、変わろうよ!?
まず初めに「前回から今日までの間、年末年始をはさんだ期間にあった出来事など」を一人1分程度で話してもらい、さっそく今日のテーマ決めのために投票した。
「一人何票入れても良い」形で多数決で決めることにして、その結果7名でのべ13票入って、内訳は上から順に「1票、2票、2票、2票、2票、0票、4票」となった。こうして今日のテーマは「そろそろ学校、変わろうよ!?」に決まった。
テーマが決まったところで、前回この案を提案した人に趣旨を話してもらって、続いて今日の投票でその案に賛成した人にも理由や考えを話してもらった。そしてだんだんとフリートークへ。
なにしろ私立の中高一貫校だから、まず自分の学校に対する期待や不満みたいなものがあるだろう。なにはともあれ、まずはいっぱい出してもらおう。
そうすると、うちの学校のダメなところ、無いもの、足りないもの、そんなネガティブな面が多く出てきた。そこで反対に「どんな風に変わりたいか、学校のありたい姿」を出してもらおうとしたけれど、なかなか出てこない。
でも、思いもかけずに良い面が1つ出てきた。それは何かというと「いじめが無い」という話。集まってきていたのは高校2年生だから、中学に入学してからほぼ5年経ったところだけど、みんなが口を揃えて「聞いたことがない」と言う。だから本当に無いのだろう。今どき珍しいことなのかもしれない。確かに、みんな朗らかだ。
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ある程度話したところで上の紙をみんなに見せて「気になる単語や文」を一人1つずつ挙げてもらった。そうしたら、多かったのは「話したい」ということ。
生徒が座って話を聞くだけの授業ばっかり。
よその学校では探究活動や総合的な学習などやってるのに。生徒(会)の声が教員(組織)に届かない。
生徒の提案を却下するばかりで、教員から説明が無い。生徒が何を言っても「どうせ通らない」と思ってしまうからだろう、いつしか生徒たちはだんだん発言しようとしなくなっている。
クラス内でもホームルームの時間などを使って、生徒同士で話をする機会、意見を出す場を作ってほしい。
手前味噌な言い方だけれど、その時にその場でしていたような「対話がしたい」という声が多かったわけだ。元々そういう意向があるから哲学対話の場に来ていたという面もあったのだろうし、放課後にこんな形で哲学対話を続ける中で対話の重要性・楽しさに気づいたと言うこともあっただろう。それにしても、放課後だけじゃなくて、授業の中にも対話を取り入れたい、取り入れてほしい、そんな欲求がストレートに出てきたわけだ。それはそれで面白い。
いつもながら1時間〜1時間半ほどやると、充実感がある一方で、もどかしさもある。いろんなことが出てきたような気もするし、もうちょっとやればもっと色々出そうな気もする。あるいは、出そうで出ない、それくらいで終わる。でも、それで良いの。
哲学対話は突然終わる。考えることを止めないために。