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学びとは?(哲学対話)
参加者3名 6/13(木)15:30〜17:05
この日は流行り病のせいで参加者が少なかった。それでも3人で予定通りやった。参加できる人が参加するのが、この会の良いところだ。
さて、テーマは、前回の対話で選ばれなかった「学ぶ」に決まった。前回それを提案したのは私で、今回参加者の2人が支持してくれた。
対話の進め方は、前回 と同じで〈本質観取〉というやり方で進めることにした。ここでもう一度、その手順を示そう。
① なぜこのテーマを選んだのか?(問題意識)
② さまざまな事例をあげる
③ キーワードを見つける
④ 「○○がどんなものか?」を言葉にする
⑤ ④が①の答え(納得)になっているか?
(なっていなかったら適宜前に戻ろう)
となると、提案した私とその案を支持した2人、要するに3人全員が「それについて話したい」と言うわけだから、3人がそれぞれ ①「それを提案した理由、支持した理由」を語ることから対話が始まった。
AI時代には学び方も変わるだろうけれど、ワクワク感を持ちたい。(私)
「学ぶ」ことが「覚える」ことと同一になってる?ように感じる。
何のために学ぶのか、それが分からない。目的を感じない、感じたい。
続いて、②「さまざまな事例」を挙げてみた。
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続いて ③「キーワード」を見つける。見つかったキーワードは「目的」、「楽しさ」、そして「それが見えてからの学び」と「それを見つけるための学び」の区分けなど。
そして以上のことを元に ④「学ぶことの本質を言葉にする」。一旦、次の形に落ち着いた。
あるべき学びとは、個人の目的やそれに付随する楽しさから生まれる学びである。
ところが、私がメモ書きした紙(マインドマップ)をなぞりながら「辿り着くための学び」→「見えない砂漠を彷徨うような学び」→「目的や楽しさが見つからないケースが多い」→この辺りも盛り込みたいと言い出したものだから、先ほどの文章の後にさらに付け足してみた。初めのものに比べて、冗長でまとまりの無い文章になってしまったかもしれないが。
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あるべき学びとは、個人の目的やそれに付随する楽しさから生まれる学びである・・・が、見つからないケースが多いため、あるべき学びに辿り着くための学びとして、科目がある目的を明確にした上で学ぶ必要がある。
ところで、これは私の反省の弁でもあるのだが、当初の私の問題意識 ①「学ぶことにワクワク感を持ちたい」を踏まえると、まとめ ④ のうちの始めのもの「あるべき学びとは、個人の目的やそれに付随する楽しさから生まれる学びである」がしっかりと答えてくれている( ⑤ )。その意味では、そこで終われば良かった、のかもしれない。
一方で、後に付け足した部分は別の問題意識だと言えるわけで、それはそれで別の機会に考えれば良いのだろう。
さて、もう次回に向けて動き出しているのだが、次回のテーマとして再び「学ぶ」が案に上がっている。今回体調不良で欠席した人、あるいは付け足した部分をもう一度考えたいということかもしれない。楽しみだ。
※ 〈本質観取〉でやった他の事例はこちら(↓)をどうぞ。
▶︎ 依存とは?
▶︎ 人間らしさって何だろう?
▶︎ 限りある人生、何をする?
◇ ◇ ◇
▽ 哲学対話、シーズン2
▷ 哲学対話・シーズン2、はじまる
▷ 依存とは?
▷ 学びとは?
▷ 哲学対話の終わり方