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対立する二者のそれぞれの論理
対立する二者のそれぞれの論理
論A 論B
日本には軍隊はない (前提1) 日本には自衛隊がある
日本には自衛隊がある (前提2) 自衛隊は軍隊である
↓ (よって) ↓ (よって)
自衛隊は軍隊ではない (結論) 日本には軍隊がある
論Aの(前提1)と論Bの(結論)は正反対で、論者Bの(前提2)と論Aの(結論)も正反対である。
さて、これは矛盾しているのだろうか? いや、私はそうは思わない。異なる前提から異なる結論が出てくるのは当然だ。
どちらかの論が非論理的なのだろうか? いや、私はそうは思わない。どちらの論もそれぞれの前提からスムーズにそれぞれの結論を導ける。
あるいは、いずれかの前提が間違っているのだろうか? 私はそうは思わない。憲法の記載そのままか現実を見据えたものばかりだから、どれも前提として妥当だ。
前提が妥当で、それぞれの前提からそれぞれの結論が導けるから、両者とも論理的だと私は思う。
では、両者の議論の争点はどこにあるのか。
それは「どちらが正しいか」という真偽の問題ではなくて、「どちらを選ぶか」という選択の問題である。それは「どうありたいか」という意思の問題である。
そしてどちらかを選択するためには、両者がお互いに論理的であること、つまりどちらも正しいことを認めなければ話が進まない。そうでなければ選択しようがない。
「どちらが正しいか」を言い合っているうちは、何も進まない。そして、相手の論を「間違っている、非論理的だ、屁理屈だ」などと言ったら、そこで終わるのである。
正答率0%の問題
性悪なX先生が、試験にこんな問題を出しました。
《第1問》 カッコの中に数字を入れて、正しい文を作りなさい。
この文の中に 1 という数字は ( ) 個ある。
《第2問》 次の文が正しければ ○ を、正しくなければ × をつけなさい。
この問題に対するあなたの答えは × である。
さて、どう答えたらいいでしょうか? X先生の魂胆はこうです。
《第1問》 まず問題文の中の 1 を数えてみると「1個」ある。ところが、カッコの中に 1 と書いたら × だ。カッコの中に 1 と書いた文を読んでみると、この文の中に 1 が「2個」あるから。
慎重な生徒なら見直してみて、間違いに気づいて 2 と書き換えるだろう。ところがそうすると今度は 1 の個数がまたまた1個になってしまう。 だからやっぱり × だ。
3 や 4 など他の数字を書いても、もちろん ×。 そう、全員が × になるのだ。ふふっ。
《第2問》 生徒が ○ と答えたら、その文が正しくないことになる。だから、× が正解になる。正解が × なのに生徒は ○ と答えたんだから、生徒の答えは間違っていることになる。
生徒が × と答えたら、その文が正しいことになる。だから、正解は ○。正解が ○ なのに生徒は × と答えたんだから、この場合も生徒の答えは間違いだ。
そう、全員が不正解なのだ。うふふっ。
2問あわせて、正答率は0%、平均点は0点。うゎっはっはぁ。
うわっ、性悪!
では、正解を発表します。
《第1問》 どんな数字を入れても正しい文にならない。
《第2問》 ○
はい、これが正解です(もちろん、私が考えた答えです)。解説しましょう。
まず《第1問》について、ちょっと問題を書き換えてみます。次の問題なら、あなたはなんて答えますか?
《第1問》 カッコの中に数字を入れて、正しい文を作りなさい。
ほげほげぷぅー ( ) どっかーん
元の問題もこれと同じです。上のように答えるしかないでしょ。
次に《第2問》について、生徒が問題に答えた後で「あなたの答えは × ですか?」と尋ねるなら生徒は正しく答えられます。
けれども、生徒が答える前に生徒に向かってこんな質問をするのは順番を間違えています。ですから、生徒が答えるなら「まだ答えてません!」と言えば正解です。
でもそれじゃつまらないので、一工夫しましょう。この問題に生徒が答えるのは無意味ですが、この文をX先生の「予言」と捉えると意味を持ちます。
生徒が答える前に、先生が「この問題にこの生徒は × と答える」と予言した。ですから、生徒は解答欄に ○ と書いて、先生に向ってこう言えばいい。「残念ながら、先生の予言はハズレましたね」と。そうすれば先生は正解とせざるをえなくなります。
どちらの問題も時間や順序を無視しているからパラドックスに見えるが、時間や順序を踏まえて問題を捉えればからくりが見えてくる。
勉強しすぎは、なぜダメなのか?
勉強しすぎはダメなのか? 当然である。
では、なぜ勉強しすぎはダメなのか? 「勉強しすぎ」という言い方が「ダメ」という意味を含んでいるからである。
同じように、食べすぎもダメだし、飲みすぎもダメだし、働きすぎもダメである。「しすぎ」という言い方は「限度を超えている」ということだから、その表現をした時点で「ダメ」に決まっている。
すなわち「○○しすぎはダメだ」というのはトートロジー(=同語反復)だから、絶対に正しいのである。だから反論のしようもない。そして反論するまでもない。絶対に正しいことは、同時に無意味でもあるからだ。