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そもそも議論とは何なのか?

 議論、討論、話し合い、・・・、どんな言葉を使ってもそれぞれニュアンスを含みます。論争、口論、言い争い、・・・どんな言葉を使ってもそのあり様には幅があります。言論、反論、会議、・・・参加する人数も様々です。
 「議論」と一言で言いますが、それは多様なものです。その事情は英語でも同じで、Discuss、Debate、Argue、・・・それぞれニュアンスが違います。
 そこで「議論とは何なのか?」を考えることから始めます。

言論と批判と反論

◇ 言論とは、
    ある主張(意見)とその根拠(理由)がセットで掲示されたもの
◇ 批判とは、
    言論の根拠の妥当性をチェックすること
◇ 反論とは、
    相手の根拠の不備を指摘すること

 ここで英語のargumentという単語を取り上げます。その単語は「議論」と訳されることが多いですが、本来は「主張と根拠がセットで示されたもの」のことを言います。つまり、一人でやるにせよ何人かでやるにせよ、自分の主張を支える根拠をきちんと示したものがargumentだということです。その発想に立てば、議論は「主張し合う」ことではなくて、「根拠を評価し合う」ことだといえるでしょう。そうやって「論を組み立てる」ことが「議論」だということになるのでしょう。ここでは、議論をそのようにとらえたいと思います。

意見 ← 理由、説得 ← 理由 

◇ 理由が言えて、はじめて自分の「意見
    理由がなかったら、単なる「感想」あるいは「思いつき」
◇ 説得納得)材料は、理由だけ
    他の方法は、すべて反則技(泣き・脅し・・・)
◇ 意見(主張)は、主観であってかまわない
    でも、理由(根拠)には、客観性が無きゃいけない

 まず、どんな意見(主張)であれ、必ず理由(根拠)を添えてください。理由が言えて、はじめて自分の「意見」となります。理由がなかったら、単なる感想、あるいは思いつきにしかなりません。主張に説得力を与えるのも、理由だけです。それ以外の方法はすべて反則技(泣き、脅し、・・・)です。
 意見(主張)は主観であっても構わないのですが、でも理由(根拠)には客観性があるものを挙げてください。理由として挙げたつもりのものが「主観」だったとしたら、それは理由というより意見そのものです。本人は説明しているつもりでも、傍から見ると自分の思いを延々と語っているようにしか見えません。たとえば、「アイドルの○○ちゃんが好きだ」という主張でもいいんです。でも、「○○ちゃん、かわいいから」というのは理由になりません。それでは、2つの主張を並べたのと同じことです。
 ところで、「説得力」と言いましたが、人を説得することは実はできなくて、人が納得してくれることを期待するのがせいぜいです。人を説得しようとすると語調や語感に頼る(場合によっては、言葉を荒げる)ことになりがちですが、それよりも人が納得してくれそうな理由を挙げましょう。

反論と異論と言いがかり

「Aである」という論に対して、
◇ その根拠を批判して「Aでない」(…とは限らない)と言うなら反論
◇ 別の根拠を持ち出して「Aでない」と言うのは異論
◇ 批判もせず、根拠も示さずに「Aでない」と言うのは言いがかり

反論であれば議論になるが、異論であれば平行線。言いがかりは消耗です。

 ここでは「反論」と「異論」と「言いがかり」を分けて考えることにしましょう。それらは似て非なるものです。まずターゲットが異なります。そして、その後の展開が違ったものになります。
 反論のターゲットは根拠(理由)です。矛先を相手の意見(主張)に直接向けたら、反則です。それではせいぜい異論(相手の意見とは異なる別の意見)にしかならなくて、良くて両者「言いっ放し」、悪くて「罵り合い」になるでしょう。どんな話題に関してもいろんな意見(これがつまり「異論」)があるのは当たり前で、全く別の見方・考え方(これも異論)をぶつけても話がかみ合わないのです。
 異論には異論の役割があるのでしょうけれども、まずはしっかり反論してください。そして、くれぐれも反論のターゲットは根拠(理由)です。矛先を相手の意見(主張)に直接向ける方が手っ取り早いと思うかもしれませんが、それをやっちゃったら議論は平行線をたどるしかなくなります。手っ取り早いどころか、延々とまどろっこしい話が続きます。

議論の目的

◇ 自分(他人)の考えをくっきりさせる
    視点(立場)が異なれば、見え方(景色)が異なる
◇ 自分と相手の考え方の違いをくっきりさせる
    どこが同じで、どこが違うのか?
◇ いろんな見方・とらえ方・考え方を取り込む
    「どっちが正しいか?」を争う必要はない

 相手の論を覆したり勝ち負けをつけたりすることが議論だと思っている人がいるようですが、そういうものはここでは議論とみなしません。最後にはどちらかに決めなければならないということもあるでしょうが、そこに行き着くずーっと手前のところでコケてる議論が多いのです。
 まずやるべきは、自分(他人)の考え方をくっきりさせることです。議論を始めた当初は自分の考えは案外ぼんやりしているものですが、議論を進めるうちにだんだんくっきりしてくるでしょう。まずそこまでできれば、それが議論の成果です。
 そして、お互いの考え方がくっきりしてくれば、「どこが同じで、どこが違うのか」もくっきりしてくるでしょう。そこまでくれば、議論した甲斐があったというものです。視点(立場)が異なれば、見え方(景色)が異なります。大抵の場合は、ここまでやれば十分です。
 そして可能なら、相手の論(または一部)を取り込むなり、自分の論を修正するなりすればいいのです。そこまで出来れば大成功です。「どっちが正しいか、どっちが優れているか」を争う必要はありません。場合によっては(相手の考えがくっきり見えてきて、それを取り込めないと判断したら)、そこで議論は終了です。

まとめ

◇ 意見(主張)には必ず理由(根拠)を添える
    それが無ければ、単なる感想・思いつき
◇ 反論のターゲットは、相手が挙げた根拠(理由)
    相手の主張(意見)に直接向けてはならない
◇ 議論の目的は、ぼんやり→くっきり
    自分(相手)の考え方、お互いの考え方の違い

 ところで「そもそも議論とは何なのか?」という問いかけは、そもそも何なのでしょうか。
 いや、何が言いたいのかというと、この問題は「正しいか間違っているか」という「正誤の問題」ではなくて、「どのようにとらえるか」という「意思の問題」だということです。
 私は「議論というものをどのようにとらえたら良いか?」というその「とらえ方」を提案したわけです。ですから、まず私にとってこれは意思の問題です。そして、みなさんにとっては、私の提案を受け入れるか否かという意味で、やっぱり意思の問題だと思うのです。
 それを提案することで私がみなさんに期待するものは、納得です。理想的には、共感です。ところで、私が上に書いたことに対して「それは違う!」とか言われても困るのです。私は「正しいこと」なんて何一つ言っていないのですから。「正誤の問題」でなくて「意思の問題」だと言うのは、そういうことです。

◇      ◇      ◇

議論の論理 〜
▷ そもそも議論とは何なのか? 
▷ ものの考え方いろいろ    
▷ マリモ型の思考       

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