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ゼロの発明

 その昔「透明人間、現る現る♪」と言ったかと思うと、一転して「現れないのが透明人間です~♪」と言ってのける女二人組がいました(ピンクレディーと名乗っていた)。さて、現れなくて目にも見えない透明人間ははたしているんでしょうか、それともいないんでしょうか?
 それはそうと、有るような無いようなものといえば「ゼロ」。無いから「ゼロ」なんですよね。ということは、ゼロは無いんでしょうか? それともゼロは有るんでしょうか?
 ところで、ゼロは日本語で言うと「零」(れい)。これってもしかして「霊」と関係がありそうですね。音はまったく同じで、漢字も似ています。そして、霊とは、まぁ透明人間みたいなものですね。うーん、ゼロ=零≒霊≒透明人間がいるのか、いないのか、あるのか、ないのか、… よくわかりません。
 そういえばゼロについて、仏教でも議論があります。いわく「色即是空、空即是色」です。般若心経の一節ですが、色とは普通に考えれば「有るもの=有限の値」、空とは「無いということ=ゼロ」ですね。その一節は「有るものは無い、無いものは有る」、つまり「有限の値=ゼロ」だというわけです。うーん、ますますわかりません。

 ところで、ゼロを意味する記号を使わないとしたら、数を表すのはやっかいです。たとえば「306」。ここで「0」は十の位が「無い」という意味の記号です。十の位が無いからといって何も書かないと「36」になってしまって、意味が伝わらなくなります。漢数字で「三百六」と書いたりローマ数字で「CCCVI」と書いたりすることができないわけではありませんが、「102030405060708090」という数を表そうとすると漢数字やローマ数字ではお手上げでしょう。
 ゼロが無いと、小数を表すのもやっかいです。「0.1234」くらいまでなら「一割二分三厘四毛」のように書くことができますが、「0.0000000001」なんて数をゼロを使わずに表すのは困難を極めるでしょう。
 アラビア数字が便利なのは位にあたる記載をしなくてよい点にあります。でも、そのためには「0」の表記が要るんですね。本当は「無い」はずの「ゼロ」をさも「有る」かのように表記することで、非常に大きな数や非常に細かい数を人は考えることができるようになりました。そうして人が考える対象が「無限大」や「限りなくゼロに近い数」にまで至るようになりました。そう考えると、「0」という記号を発明したことの有用性は大いにありそうですね。
 さて、その記号のデザインですが、これがまたなんとも素晴らしい。他のデザインではどうでしょうか。「無い」を意味するから「×」、なるべく楽に書きたいから「・」、そんなデザインもありえたのかもしれませんが、おそらくそれでは普及しなかったのではないでしょうか。
 ゼロのデザインとして「0」が秀逸だと思うんですよね。さて「0」は何をデザインしたものかというと、きっと「穴」なんですね。「無いから穴、でも穴は有る」、この論理構成が「0」とぴったり符合するじゃありませんか。くれぐれも申し上げますが、「0」は丸ではありません。穴です。「無」や「空」にも通じる「穴」です。
 ゼロを発明したのはインド人だと言われています。同じくインドで生まれた仏教といっしょになって東に伝わって、無の思想、空の思想とともに日本に届きました。一方、西の方へはその表記法がまずアラビアに伝わって、さらにアラビア数字としてヨーロッパに届きました。科学史における最初の発明家の称号は「0」を発明したこのインド人にこそ贈るべきでしょう。どこの誰かは知りませんが。

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