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ヨガの先生って?

※あくまでも私の考え方です※

わたしはなにか教わる時、最終的には1人の先生から教わることがいいと考えます。
なぜなら、素晴らしい指導者は分野問わずたくさんいるわけですが、指導方法やその先生が大切にしていること、考え方などはまちまちだからです。

ひろーーい視野でみたときには、それすらも、最終的には統合されていくと思うのですが、学ぶ身としては、いくつもの道がたくさんあるとシンプルに迷いが生じると思うのです。

その迷いを、いい経験としてとらえる人もいますし、遠回りすることで見える世界があったり、なにも近道だけが正義とも思いません。

まぁこういうことを考える時は、そもそもなにを基準に「正義」「普通」「当たり前」「常識」と考えるかというところも曖昧だなぁと感じますが。

今回、オーストラリアでヨガをする上でアシュタンガを始めること、正直かなり悩みました。

なぜかというと、私にはヨガの先生が日本にいます。その先生から教わってきたヨガの考え方や向き合い方、分かりやすいところでいえばアーサナをするときの細かなポイントなど、今まで教わってきたことを、違う先生のティーチングを受けながらそれを続けることができるかどうかの不安がありました。

まして、それを続けることは、目の前で教えてくださる先生に失礼なことじゃないかとすら思えました。

オーストラリアの先生も素晴らしい。日本でお世話になっている先生も素晴らしい。

例えば、
A先生は「りんごは赤色です🍎」と教えてくれて、

B先生は「りんごはきみどり色です🍏」と教えてくれたとします。

どちらの先生も、「りんごは美味しいです」と言います。

どちらの先生も最終的に伝えたいことは同じですが、通るプロセスがそれぞれ違います。

なにが言いたいかというと、わたしは、自分のことを「なんでも受け入れられる人」と思っていたけど、かなり頑固ちゃんだったことに気付かされたのです!笑

ヨガに関するこだわりが自分の中で強くなっていたことに気づきました。

これは、いいとかわるいとかそういうことではないのですが。
このままオーストラリアの先生に教わりながら、アシュタンガの世界に足を踏み入れることに不安がありました。

ですが、そうわたしが思っているだけ。

本来どんな状況でも、やることは変わらないのです。

目線、足幅、手のつき方、腕や足の運び方、呼吸のペースなど、違うリードであったとしても、やることは何も変わらないはずです。

環境が変われば、人はそこに順応しながら変わります。が、変わらないものもあります。要はすべてはその人(自分)次第だから。

それに気付かされ、わたしはついに、アシュタンガを始めてみることを決意しました。

自我と向き合う練習。
そしてこの経験もcontrastYOGAをアップデートしてくれるものになると確信しています。

人は迷います。暗いトンネルの先にすこーし灯りを照らしてくれる存在があることがどれだけ救いになることか。安心して道を歩むことができます。

自分が選択するものを自分で信じてあげて、それが自信となり、また人は成長していくんだなと思った夜なのでした。

最後まで読んでくれた方へ、わたしのひとりごとにお付き合いいただきありがとうございました🤣🤣

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