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mitsukisora
ふりかえりカンファレンスの登壇準備 | 正解を探すより、自分のことを理解することのほうが大事
ふりかえりの断絶とは、「とりあえず施策はやるし、やった結果を分析もするが、分析しっぱなしで次に繋げることができない状態」のこと。
「測定できなければアクションとして意味がない」などと言い放ってしまっては、ふりかえりが億劫に感じてしまう。さあ、いったいどうすれば億劫にならず、しかし効果的なふりかえりが出来るだろうか。
億劫になるのは、めんどくさいからかなと思った。「まず目的を明確にしてから動け!」みたいな議論は、おそらく自分には向かない。動いてみてからなんとなく理解しはじめて、「ああ、自分はこういうことがしたかったんだな」と徐々に明確になるのが自然な形なのでは。たとえば小説家であっても、最初から傑作を生みだすことは難しい。まず形にしてみて、フィードバックを得て、なんとなくここが違うなーと思いながら改善して、だんだん理想が分かってくるものだと思っている。
改善だと思ってやっていた行為は、実は自分の理想を把握するための行為なんだろう。そう実感できたとき、「正解」を探す旅は「気づき」を得るための学びの旅に変わる。正解を探すより、自分のことを理解することのほうが大事かなと。
なんだろう、そう考えると、気づきを得ることと改善をすることを、もう少し細分化して考えて良いかもしれない。レトロスペクティブとリフレクションの2つに。