色んな自分を試して幸せになってね
地球で生きることはオープンワールドのRPGとそっくりだと思う。
さっさとクリアすることよりプレイ時間を重ねてどんどん深みのある主人公になっていくことが旨味だと思う。
道は一方通行じゃなくてあっち行ってもいいしこっち行ってもいいし引き返してもいいし手にしてみてもいいし、いらないとわかったものは手放してもいいし仲間を引き連れて進んでも途中で仲間と道が違ってものちのち再会してもいいし失敗してもうまくいってもいい、くり返したっていい。
そんなふうに色んなじぶんを試してじぶんにしっくりくるものを見つけ出し、どんどん深みのある魂になってねとわたしに言うわたしがいる。
👾 👾 👾
ようちえん児のころよく行ってたデパートの下着売り場のマネキンさんが着けているブラの中には何が詰めこまれているんだろう?
とふしぎだった。
マネキンはマネキンで中に胸はないということはわかっていたけどふっくら膨らんでいるのだから何かが詰めこまれていると思っていた。
そうしてある日勇気を出して人差し指で押してみた。
ポフ。
なんと中身は空洞だった。
3〜4才のわたしの頭の中ではあんなふうにふっくらしているのだからぷにぷにのスライムのようなものが詰めこまれているのだとばかり想像が膨らんでいたから
空洞だったそれに、人生初めてのズコー体験だった。
👾 👾 👾
むだなこととむだじゃないことの違いってなんだろう。
心の中には「むだなことはなるべくしたくないや」ってきもちがあるのだけど
同時に「むだがいやならどうして地球に生まれてきたの🌏」というきもちもある。
生きることがむだだと言うことではないけど
成長するのもしあわせになるのも産まれる前に暮らしていた "あちらの世界" でもっと楽にできただろうから、
わざわざ地球に来なくたってよかった。
わざわざ地球に来たってことは地球でしか体験できないたくさんのむだなことの中からじぶんにしっくりくるものを見つけ出すために来たんだ。
その過程を味わうために来たんだ。
そういう考えが、わたしの心のどこかに刻まれている。
透明人間という曲の
"ひとつひとつこの手で触れて確かめたいんだ"っていう歌詞。
わたしはここの歌詞がとても好き。
うんうん。って思う。
むだとかむだじゃないとかいったん置いて
ひとつひとつをじぶんの手で触れて確かめたくて、地球にやってきたんだという思いがある。
きっと好奇心おうせいなうちゅーじんだったんだね👾
宇宙から地球を俯瞰で見ているだけはいやで
じぶんで味わいたくて
じぶんで確かめたくて
こんな混沌としたむだの多い地球にヨッコラセとやって来たんだね。
宇宙ではみんなたのしそうだけど地球は大変そうだな。👾ふむ
じぶんに正直に生きる時にんげんは何を感じるのだろう。
じぶんにうそをついた時にんげんは何を思うのだろう。
じぶんでいられなかったとこからじぶんでいられるようになるその過程で人は何を思い何を感じるのだろう。
その諸々をじぶんで確かめたかった。
その過程が誰かから見たらむだなことでも
わたしの魂には必要だったのだと思う。
👾 👾 👾
Netflixでドキュメンタリーを見るのがすき。
壮大なドキュメンタリーよりもひとりの人生を粛々と描いているものが好き。
ドキュメンタリーになる人の人生は大体苦しい。
詐欺師に騙されて膨大なお金と時間を使ってしまった女性がコトバを詰まらせて話している姿に
じぶんの心はただ「わかる」と言った。
ぜんぶをわかるわけではない。
でもわたしもお金と時間をむだに使ってしまったと思うこと山ほどあるから。
心の中には何であのときあんなことしてしまったんだろうと思う自分もいるのだけど同時に
過去のじぶんは今のじぶんのためのお試しでしかなかったように感じている自分もいる。
むだだったのかなってしょげてる自分もいるし、お試ししてたんだからむだに思えてあたりまえじゃんって自分もいる。
ギャルな自分と妹な自分。?
10代で病気になってから〜20代はとくに、
心の赴くことだけをして
どのじぶんがじぶんにしっくりくるのか試してきた。
色んなじぶんを試してきたから
けっきょく「何が正しいかなんてわかんない」状態になっているんだと思う。
それがいいことかそうじゃないことかはわからないけど
白黒はっきりさせなきゃいけない世界から解放されたあとは生きやすくなった。
わたしは答えを持ってる人じゃなくて探究しつづける人になりたかったんだと知った。
色んなじぶんを経験しておなじ地球を生きるどこかの誰かへの「わかる」を増やしていきたかったのだということも。
誰かからもらえる「わかる」が、じぶんを生きる上での勇気になるように
じぶんの「わかる」も誰かへの勇気… とまではいかなくても、ひとりじゃないと思うきっかけになったなら。
👾 👾 👾
じぶんの人生は過去からの地続きではなく
単体で存在している「今」なのだとある時点から思うようになった。
例えるなら、長編小説じゃなくて短編小説集。
主人公はぜんぶ自分なのだけど
チャプターごとにキャラ設定も違う。
じぶんの人生は振り返ると統一感のない趣味部屋のようにごちゃごちゃしてる(?)
好きだったものがいやになっていたり、いやだったものがなくてはならないものになっていたり
考え方もコロコロ変わっている。
過去から今にかけて続いている活動的なものはない。
どの時代のじぶんにも共通点はあるけれど
一貫性はないと思う。
だから人に対しても、こないだまで「Aがいい」って言ってた人が急に「Bがいい」って言い出したとしても違和感がない。
ああ、チャプターが変わったんだなって思う。
👾 👾 👾
わたしも人さまに見せられる積み木なんて積み上げてきていないから
だからあなたの積み木がどんな形でも気にならない。
今まであなたがどんな積み木を積み上げてきたかは聞かなくても大丈夫。
今の深みあるあなたを見ているだけでその時その時できることをしてきたことがわかるから。
それが目に見える形で実を結んだかどうかは関係ない。
目に見えても見えなくてもあなたのしてきたことはあなたの養分となり今の味わい深いあなただけが残った。
もがいて見つけた今のあなたがわたしの見たいすべて。
そうして最後にしあわせになってねとわたしに言うわたしがいる。
最後というのは人生の最後じゃなくてチャプターの最後。
RPGとおなじ。けっきょく最後はあなたがしあわせになるエンディングがプログラミングされてるから
どの道を通っても行く着く先はいっしょ。
好奇心をもって色んな自分になってみること、
オープンワールドで色んなじぶんを試してみること、
自分を信じているからできることだと思う。
信じていることを忘れるくらい
自分を信じて地球にやって来たんだと思う。
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