真の素直さ
ある神学者の講演をデジタルツールで聞きました。その中で「真理の所有者ではなく、真理を追求者になりなさい」という意味のことが語られていました。講演者は英語の訛りからヨーロッパの人だと思いました。元々はキリスト教の文化圏だった場所に多様な文化・宗教背景のある人が移り住んで、子供が大人になり、二世も生まれて、皆、国民となったわけで、キリスト教以外の宗教をきちんとリスペクトして共生していくことが、社会を分断させないために重要なことのはずです。そのような文脈の中で聖書的な思索を深めていき、このような発言が生まれたのだと推察しました。
最近のキリスト教会では、信仰継承ということがよく言われます。一方、安倍晋三元首相の銃撃事件で表ざたになった宗教二世の問題が、新興宗教に限った問題ではないのではと論じる人もいます。そこで考えるのは、「真の素直さ」とは何かです。ある実業家は、その定義を、偏見や先入観を持たずに新しい情報や意見を受け入れ、自己の考えや行動を適宜調整する柔軟性と謙虚さを持つこと。また、自分自身の弱点や誤りを認め、改善に向けて積極的に努力する態度も含まれる、と定義しておられました。また、別の方(お坊さん)は、親や先生、上司のいいなりになることではない。素直の素とは「もと」、すなわち「大元」。その大元と直につながることだと定義しておられました。彼の見解に従えば、クリスチャンの場合、素直になるとは、神とつながること。特定の教団教派の伝統とか考え方とかではなく、神と直接つながること。教団教派の伝統が些末なことだと言っているわけではありません。それは大元ではないと言っているだけです。
クリスチャンは、聖書を読み、味わい、聖霊を信じ、その招きや導きに敏感になる。自分の生活や態度を振り返って悔い改め、祈り、礼拝する。そして、再び、世に出ていく。そうやって、私たちは、本当の素直さを身に着けていくのです。
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