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愛する妹へ


今日は私の可愛い妹の誕生日。あんなに小さくて可愛かった妹は、選挙権を獲得して大学受験をする年齢になっていた。早い。早すぎる。そんな可愛い妹との思い出でもつらつらと書いていこうかなと思う。

私は幼い頃から弟か妹が欲しかった。幼稚園の頃はぽっちゃり体型の母親のお腹に抱きついて「なんで母さんのお腹のお肉は赤ちゃんにならんのん?」と毎日文句を言っていた。子どもにデリカシーというものは存在しない。

そんな私を「なんでかねー」と楽しそうに笑いながら撫でる母親は、私を生んでから体調を崩していて二人目を望める状況ではなかったらしい。今私が当時に戻れるなら、幼少期の私の口を後ろからそっとふさいでやりたい。2秒で警察行きだ。

待望の妹が生まれたのは私が小学二年生の時だった。その年のゴールデンウイーク、旅行に行こうねと言われていたのに、母親が体調を崩して急遽行けなくなった。ごめんねと謝る両親を他所に私はそんなに気にしていなかったと思う。「ほーんそうか。しゃーないな」くらいの気持ちだ。

母親がどんどん体調を崩していたから、私は家の手伝いをしていた。お風呂掃除やゴミ捨て場の清掃当番など小学二年生にできることは限られていたけど。

母親が体調を崩していた原因がお腹の中に赤ちゃんがいるからだと分かってからは毎日がパラダイスだった。社会人になった今よりも家のことをしていた気がする。両親からの言いつけで、母親のお腹に赤ちゃんがいることは内緒にしていた。解禁されてからは友達に自慢しまくった。

母親の出産が近づいてきて、どうにも動くことが出来なかったため、父親が小学校の保護者面談に来た。父親は担任の先生に「ゆらちゃんはいつもニコニコしています」と言われたそうだ。その当時の話を父親は今でも嬉しそうに話してくる。

妹が生まれたのは12月10日のお昼、出産まではもう少しかかると言われてお昼ご飯を食べに行ったら空には虹がかかっていた。妹は世界から祝福されて生まれてきたんだと思う。いや割と本当にマジで。妹が生まれてからこれまでシスコンの肩書を背負って生きてきているが、事実を言われたところで何も思わない。

私は叔父と一緒に滅多に行かないモスバーガーに行って、バニラシェイクを飲んで帰ってきたら妹が生まれていた。バニラシェイクの量が多くて残したら叔父が「こんなんも飲めんのか」と全部飲んでくれた。

新生児室をガラス越しに覗くと、生まれたばかりの私の妹がいた。小さくてほやほやだったけど、私がガラスを離れると泣くので、生まれた時から私のことが大好きなんだ!と本気で信じていた。おめでたい勘違いである。

私の名前は父親が決めたから、妹の名前は母親が決めた。12月に生まれるからゆきちゃんかな?こころちゃんも可愛いかも!とウキウキで名前を一緒に考えていた。入院するまでは8割方ゆきちゃんで決まりそうだったから、小学校の友達には自分の妹はゆきちゃんという名前なんだと言いふらしていた。

しかし入院期間の1週間、妹の眠るベッドの上の名札は空白だった。帰ってきた母親の腕にはゆきちゃんでもなく、こころちゃんでもなく、まったくかすりもしない名前の妹が抱かれていた。母親の手前言えなかったけど、勝手に妹の名前はゆきちゃんになると思っていた私は友達に「帰ってきたらゆきちゃんじゃなくなってた……ゆきちゃんが良かった……」と愚痴っていた。優しい友達は慰めてくれた。

でも母親が妹の名前の由来を教えてくれて、私の名前と妹の名前を並べた時の漢字がほとんど一緒なんだと教えてくれた。だから私は自分の本名も妹の名前も気に入っているし大好きだ。

妹はいたずらっ子だった。あんまりいう事を素直にきく子じゃなくて、小さくて可愛かった。

運動神経が良くて足が早かったから、それを活かして大人たちの監視の目をくぐり抜け逃走していた。買い物で3秒を目を離したら妹がいない。大人たちが妹の名前を呼んで必死に探すと、柱に隠れてニヤニヤとこっちを見ていた。母親が妹を怒って呼ぶとまたニヤリと笑って逃走した。悪ガキ過ぎる。

私の幼少期と妹の幼少期は随分違っていて、私はよく言えば素直、悪く言えばアホだった。お菓子を1つだけ買ってあげると母親に言われて200円のお菓子を持って行ったら「ゆらちゃんはこっちの方が好きなんじゃない?」と68円で安売りしていたコアラのマーチを渡された。大喜びでコアラのマーチを食べていた。

対して妹はファミリーパックのアルフォートを持ってきた。もちろん却下されていた。その光景を見ながら幼い頃の私は「それも1個にカウントされるんだ」と関心していたのを覚えている。

妹は苺が大好きで、食卓で苺がでると大喜びで苺を食べた。母親が皆で食べようねと苺の皿を置いて台所に戻ると、独り占めしたかったのか口をパンパンにして、両手に小ぶりの苺を3つずつ掴んで食べていた。勿論母親にブチギレられていた。あんなに小さな手でどうやって苺を3つも掴んだのか、今となっては分からない。

妹はプッチンプリンが大好きだった。でも好きなのは味というよりプッチンプリンをプッチンするのが好きだった。

母親は洗い物が増えるのが嫌で、基本的にプッチンさせてはくれない。たまに私の機嫌を取る時に「わかった!じゃあ今日はプッチンしていいよ!」と言ってきた。私は大喜びで機嫌を直していたけど、プッチンすることがご褒美になる世界線っていったいなんだ。

対して妹は頑なにプッチンをしたがった。母親があの手この手で誘導しても絶対にプッチンをするんだという固い意思表示をしてきた。最近聞いたのだけどどうしてもプッチンしたくて、蓋にプッチンして食べたこともあるらしい。何がそこまで彼女を執着させるのか教えてほしい。

妹は私のことを「ねえね」と呼ぶ。大きくなっていじめられたりしないかなと心配になって小学校高学年の頃に「お姉ちゃんって呼びな」と矯正しようとしたが失敗した。今でも「ねえね」と呼んでくる。そんな妹が愛おしいので今後何年経っても呼び方はそのままで良い。

大きくなった妹は、小さかった頃のいたずらっ子は鳴りを潜め、随分大人しくなった。

でも大きくなってからも可愛さは健在で、普段タバコを吸わない私がシーシャバーに行った話をすると、「それって体に悪いんじゃない!?」とシーシャの有害性について調べて暗に止めるように勧めてくる。本当に可愛い。

note投稿史上最長の文章を書いても妹との思い出は語り切れないが、キリがないのでこの辺りにしておく。最後に、



愛する妹へ。

今まで成長する君から目を背けてきたけど、気づけば成人と呼ばれる年齢になってしまいました。まだまだ小さくて可愛い私の妹であって欲しいとは思うけど、これから沢山の広い世界を見て、いつか私の手の届かないところにいってしまう日がくるのだろうなと思います。

小さかった君のオムツを変えて、おふろに入れて、一緒にお昼寝して過ごした日々は何にも代えがたい宝物だったと今なら分かります。

誕生日おめでとう、生まれてきてくれてありがとう。素敵な一年になりますように。

ねえねより




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