
陰陽の強弱のつけ方とタイミングについて(毒を吐く)
陰陽師ではない。相反するものとしてイメージしてもらえればいい。
ギャップに関する話と言った方が伝わると思うが、陰と陽を連続して使うことは日常生活でそんなに無いと思う。せっかくなのでタイトルはそのままにしておく。
ネット記事を見ていて思ったことだ。
なんか温和っぽい雰囲気を出しているけど、けっこう攻撃的なことを隠さずに言ってる人多くねえか。その上、傲慢っぽいふるまいだったりもするし。
外から見ている感じだとあまり印象がよろしくない。と言うのも温和な方が主な性格であるかのように、僕からは文章を通じて見えてしまっているからだ。
外から見た他人の性格なんか、あってるかどうかわからないが、例えば同じ人のnoteの記事をいくつか読んでみれば、なんとなく人となりがわかるというのはある。
多分、強弱のつけ方とTPOがかみ合っていないんだと思う。
ヤンキー(子犬)理論みたいなものがある。説明は省くが、こっちの印象だとまだいい。あまりにも内容がひどい(僕の主観)と避けたくはなるが。
普段、攻撃的な感情を抑圧しているのか、ちょい不自然なんだよな。何かきっかけがあったんだろうけど。
こういう画像がある。下の3都市をどうこう言うつもりは一切ない。一例として出しただけ。

僕が言いたいことと若干ズレるが、ネットの文章の話なので著者が匿名だとすると、見た目も性格も文章から判断することになる。
しかも、性格が上の画像のように一つではなく、温和な性格と攻撃的な性格というように相反する性格が混在していることもある。その上、出てくる性格のタイミングが何かおかしいという場合がある。
別に、普段温厚そうな人は毒づくなと言っているわけではない。毒の程度(量)とタイミングを間違えないことが大事だと言っている。
人間は感情の動物であると言われるように、毒づきたいときもある。
とりあえず、ここでは毒と相反するものを薬とする。
例えば、記事の内容が薬:毒=9:1の場合、バランスがめちゃくちゃ悪い。このレベルだと毒を出さない方がいい。悪目立ちをしてしまう。ちょっとだけだと、その毒は飲み込めよと思う。本人が毒だと思っていないこともあるので何とも言えないが。こういうのがネットには結構多い気がする。
中途半端に出すなら、薬10とか毒10の方がよっぽどいい。半々ぐらいでもよさそうだ。10は想像しづらいな。過剰投与はどちらにせよ危険だ。
毒:薬=9:1、これは逆にいい。一筋の光明のようなものを感じる。
TPOを無視して、いきなりちょっとだけ毒づく。まあ、TPOを無視している場合だと薬だろうが毒だろうが、量にかかわらずおかしさを感じるだろう。
全部毒だと、あ、この人、ついに耐え切れなくなったかと察することができる。ただ、これは何らかの前振りや蓄積があり、その人のことをある程度観察していた場合のことだ。何の脈絡もなく毒づくだけだと、ただのやばい人間でしかない。
僕自身は、きれいごとばかりいう人よりも、多少毒づいている人の方が好きだ。多少ね。
「自分の中に毒を持て」と、かの岡本太郎も言っている。(僕が思っているような意味ではないかもしれないし、毒を吐けとは言っていないかもしれない)
僕はその本を読んだことがないので詳しくは語れないが、読んでみたい人はぜひ。
また、反町隆史はこう言っている。「言いたい事も言えないこんな世の中じゃ Poison」
というわけで、TPOを無視して急に毒を吐く人にならないように、自分の中の毒を飼いならしておこう。
人を傷つけることが第一目的の言動は毒ではないと思う。それはただの悪口や暴言だ。罵詈雑言・呪詛・怨嗟の言葉などが該当する。線引きは難しい。
自虐しすぎるのも自分を傷つけるのでよくはない。
本人の意図するところによらず、他人を傷つけてしまうことはあるだろう。ただ、それは毒だろうが薬だろうが起こり得る。
だから、毒だけが良くないこととして扱われるのはおかしい。(暴論)
僕は毒の肩を持つ。
おすすめは、noteに毒だけを吐いた記事を書くことだ。閲覧注意とでも書いておけばいい。もしくは毒の吐き方を練習中です、とでもしておけばいい。
でも、noteが毒まみれになるのでやめた方がいいかもしれないな。それか、人に見せずに自分だけの日記とするかだ。
毒を吐き続けていると、その内、なんで俺はこんなことしてんだ、となると思う。そうならないためにも、適切な毒の吐き方を身につけたいところだ。
僕もキレイな毒の吐き方について勉強中の身だ。キレイな毒が何かはわからないが、相手を苦笑させる程度の毒を吐く。これぐらいが多分、ちょうどいい。
こういう記事を書くだけでもストレス発散にはなる。この記事を見て、こいつなんか毒強くないかと思う人もいるかもしれない。
僕自身は、昔から付き合ってきた自分の性格なので、まあ慣れている。
仮想敵や共通の敵に対して毒を吐くのも効果的な練習かもしれない。特に社会とか会社とか個人ではない場合、少しだけ毒を吐くことの免罪符になると思う。
みんなも、毒吐こうぜ。
とは言っても、毒を吐き続けることは多分よくないので、何かに感謝したり、身近にいる人を褒めたりお礼を言ったりして、中和しよう。
noteでは、一人称は基本"僕"だが、たまに”俺”も使う。
これはギャップを狙ってやっていることだ。
というのはさておき、不特定多数が目にすることもあるので、少しだけお行儀よくしとくか、ぐらいの感覚で”僕”を使っている。
やはりギャップ狙いだ。
この記事は毒と薬のバランスはどれぐらいだろうか???(毒にも薬にもならねえよ)
※用法・用量を守って正しくお使いください