1人が好きすぎる

私は1人の時間が好きすぎる。1人でカフェや映画や買い物なんて当たり前だし、ファミレスやラーメンなんかも全然行けてしまう。ほんの少しだけ背筋を伸ばしつつ、回らないお寿司屋さんや個室の焼肉屋さんなどもふらっと行けてしまう。

むしろカフェや映画、買い物なんかは1人で行く醍醐味が多分にあると思っている。

例えばカフェは、読書、興味持った最近の時事や言葉や歴史などを調べたりする空間として最適だし、ある程度の公の空気感や他人の存在が、より没入感や集中力を高めてくれたりする。だからこそ雰囲気(どんな人がどんな目的で集まるカフェなのか)というのも私は大事にしている気がする。

映画もそうだ。思い立った時にレイトショーや朝イチ映画など本当に自分が見たいと思った映画を観に行けるし、鑑賞後はfilmarksや考察記事やインタビュー記事なんかを読んだりして、難解だった謎が解けたり、多様な解釈を知れたり、その中から自分のもやもやを昇華する手掛かりを見つけたり、共感したりできる。誰かと観に行く楽しさもあるけど、1人だと目の前の人と対話する訳ではないので、自分の解釈に常に素直でいられるし探求ができるので、自分の心にたっぷりお水をあげることができた感覚がある

買い物は、自分の興味に合わせて直感で周ることができるので、自意識と並列して考える必要のある事柄がなく、外界に触れつつ、基本的に自意識を尊重する時間が持てるので、それが良いストレス発散にもなったりする。(ただし新宿や渋谷といった人混みは逆効果で、ベストofストレス発散はのほほんとした街か河川敷がメタセコイアがあるような公園散歩もしくは運動がマストである)

兎にも角にも、1人時間がないと限界が来て寝込むと思う。一緒に暮らしている愛する猫にさえ、稀にだけど少しだけ1人の空間を提供してくれないかとおもうことがある。(大抵は猫が大運動会してる時だけど笑)ともすると、人に対してはもっとその感覚が強く出てくる気がする。

例えば、私は友人と遊んだ後はスマホを圏外にしたりしがちである。決して友人が嫌になったとかそういうのではなく、大好きで大切な存在なのは変わらない。だけど、たぶん、意識を外に向け続けることが多分苦手なのだと思う。10代、20代にはそこまでこの傾向はなかったのだけど、30代になってから、この傾向が現れ始めた気がしている。意識を外に向け続けた後、内に向ける時間を、存在する空間やスマホなどの外的環境から作らないと、自分の中で心地よさが取り戻せず、気持ちが休まらない。だからスマホを圏外にする。そうして数時間もしくは翌朝には、通信設定を元に戻してリセットできる。

時々、一人で寂しくないのかと言ったような怪訝なコミュニケーションをされることもなくはないし、たぶん孤独が嫌いな人は私のことを憐れんでることもきっとあると思う。けれど、私の孤独は自発的孤独であって、逆にその時間が幸福なのである。もちろん、人と会ってる時間も大切で尊いものであることは変わりないのだけど、同じくらい、ときとしてはそれ以上に一人時間が大切だ。

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