私を変えた一冊『ナナメの夕暮れ』
若林正恭『ナナメの夕暮れ』
たりないふたりが好きだ。
何というかもうあの二人が大好きだ。
天才悪鼠と天才赤眼鏡。
たりないふたりで学んだいろんな要素が、もう生活の、人生の、一部になっている。
それぐらい好きだ。
「たりないふたり」はオードリー若林と南海キャンディーズ山里の漫才コンビ。
特に若林のことが、人見知り芸人の時から好きだ。
自分も重なる部分が大いにあったからだ。
アメトーークのDVDも持っている。
エッセイも全部読んでいる。
サイン欲しい。
テレビに出ている人で、「人見知りで人付き合いが苦手」なんて自分から言う人は今までいなかったように思う。
だから自然と気になって、気付いたら目が離せなくなっていた。
2021年12月、映画館に明日のたりないふたりのパブリックビューイングを見に行った。
映画館で笑って、泣いて、また笑った後に泣きながら笑って、あれだけ感情の振れ幅が大きすぎて大変な思いをしたのは初めてかもしれない。
人付き合いが苦手、うまく話せない、人見知り、妬み嫉み、自分の腹黒さ、たりなさ
本来「恥ずかしくて、惨めで、隠したいこと」
だったはずのそれらを全部笑いで昇華して。
飲み会の回避法には心から唸った。
「そのままでいい」「このままの自分でいい」「たりてる側の人間になりたい」
「それは無理だ」「でもたりてなかった自分をどうしても肯定したい」という若林のエッセイの言葉に涙が溢れた。
二人と親交の深いDJ松永がこの映像を見終わったあと、
「お前はどうする?と聞かれている気がした」と言っていて、その言葉にも胸を貫かれた。
そうだ。いつまでもあの二人について行けばいいと思っていた。
でも、これからは自分で考えなければいけない。
自分の中にあるたりなさと対峙して、これからを考えていかなければならない。
浅井リョウも『ナナメの夕暮れ』文庫本の解説で言っていた。
「あ、これ若林さんのやつだ」「遠くで若林さんが笑っている、そう感じることがある」と。
自分も同じ感覚を持っていることに驚く。
日々のあれこれに「これ若ちゃんが言ってたやつだ」と思うことの、何と多いことか。
たりないふたりは、見せつけた。
生々しいまでに、自分たちの今までの、これからの生き様を私たちに見せつけた。
舞台に生き様を叩きつけて、そして、解散した。
今度は私の番だ。
さぁ、どうする?
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(『ナナメの夕暮れ』文庫化に伴いオードリー若林正恭が書いたあとがき『明日のナナメの夕暮れ』について書こうと思ったけど、どうしてもたりないふたりと切り離せないから、その辺ごちゃごちゃ)