矛盾……
唐突ですが、私の中にはずっと前から、矛盾する二つの思いがあります。
「人間なんて種族は滅びたほうがいい」
「誰にも悲しんで欲しくない、誰かが悲しむ姿を見たくない」
私は今この世で一生懸命に生きている皆さんに対して、恨みや怒りなど持っていない(と自分では認識している)し、ひたむきに頑張っている人には、何かしらいい事が起きればいい、幸せであってほしいなと漠然と考えています。
でも一方で、「地球と人間」「他の種族と人間」という関係についても、考えずにはいられないのです。そのように考える時、わたしはどうしても「人間は『悪』だよな……」と思ってしまうのです。
昔の「人間」という種族はきっと違ったのでしょうが、ただ、進化と発展を重ねて人間はあまりにも、この星を、他の生物の命やその生活を、我が物顔で蹂躙しているなと思うのです。
そんな時私は、「申し訳ない、人間なんて、いなくなればいいよね」と、誰に対してとはなしに、思ってしまうのです。
これこそが、私が、私自身のことを好きになりきれない、許しきれない一つの理由でもあります。
自分が「人間」である限り、私は自分の事を、「罪な存在だ」と認識続けるのだろうなと、なんとなくそう感じています。
話は少し逸れてしまうのですが、「人間は生きている事が罪であり、なんとかして生き続ける事が、その罪滅ぼしになるのだ」という考えが、いつからか私の中にあります。仏教(一部か全体でかは分かりませんが)でも、「人生は修行である」という考え方があります。
つまり何が言いたいかというと、「おそらく世界中の誰しもが、どんなに清い人でも、知らず知らずに罪を犯し、その罪に苦しみながら生きている」という事です。
この考えに基づけば、私は私自身を罪なものとして永遠に許し切ることはできない。その一方で、苦しみながら生きる事がこの世界への罪滅ぼしになるのなら、こうして私が生きる事も、最終的には許される事なのではないかという、はかない希望を持ったりもするのです。
昨今では、「自己肯定感」「自分を好きになる」といったような文言を頻繁に見聞きします。私も、自分を好きになりたい、そのためにはどうしたら……と考えていく過程で、上記のような考えにたどり着きました。
私が本当の意味で、「自分を好きになる」にはきっと、とてつもなく長い長い時間が必要なのでしょう。もしかしたら、一生をかけての仕事かもしれません。
そこへ向かって、一歩一歩、ゆっくりと歩を進めて、苦しみながらも着実に生きていきましょう、というお話でした。
皆さま、拙ない文章ではありましたが、ここまでご覧いただき、ありがとうございました。
私の言葉が、どなたかのお役に立てればと、そればかりを願います。