見出し画像

日常のゲーム化、これって私だけ?


みなさんは、日常に違和感を抱くとこはありますか?

私は、最近、散歩をしているとふと、
「この電柱ってって触れることが出来るのだろうか、」
と、考えてしまいます。まぁ勿論、実際に触ることできますが、私が言いたいのは、
自分が触らなかったものに実体があるかどうか、
分からない、ということです。
具体的に言うと、私が道路にあるうちの一つの電柱に触ったことがないとします。その私が触っていない電柱は、もしかすると、私はそれに触れることが出来ないかもしれない、そう思って触れてみると、当然、触ることが出来ます。
その結果 、その電柱に実体があることがわかります。しかし、私は私自身が触れなかったものについて、私は触れることが出来たのか、ひいては、私が確認できない事柄は、本当に存在するのか、ということが疑問なのです。とはいえ、そのことを検証するすべなど無いのです。
そして、このことについて考えていた時、
何となく、ゲームみたいだな、と思いました。
どういうことかというと、ゲームでは、その物語に関係の無いことは決まっていない、例えば、その物語が魔王を倒す物語だとしましょう。すると、その物語の中では、宇宙の外側に何があるか、など物語に関係の無い、主人公が確認できないことは決まっていません。それと同じで、私のいるこの世界も私という私の人生の主人公が確認できない事柄は存在しないのではないか、ということです。 
読みにくいと思うので今まで内容をまとめると、
つまり、私が観測できないことは存在しないのではないか、ということです。
こんなことは、どこかの誰かが既に言っていることだけれども、私のこの文章を読んで、少しでもそういうことについて考えてくれたなら嬉しいです。

いいなと思ったら応援しよう!