2022年7月より始まった本メディア「おもろいオペッタヤン」。
4人目は、写真からもあふれる元気!小澤悠さんをご紹介します!
持ち前のエネルギーを武器に、これまで様々な活動をされてきた小澤さん。そこには天性の明るさや人を惹きつける力、いろいろな人との出会いや幼少期からの経験、そして何よりもどこまでも前向きで「なんでも本気で向き合う」という彼の姿勢がありました。
「よし、自分もやってみよう」
読み終えた皆さんには、きっとそんな気持ちになっていただけるのではないでしょうか?
それでは皆さまを小澤ワールドへご案内します!
小澤 悠(おざわ ゆう)
1990年兵庫県⻄宮市生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒。2013年、丸紅株式会社に入社し、大豆・菜種等の穀物トレーディング業務に従事。労働組合専従を経て、経営企画部にて新規事業を担当。2019年から複業活動で教育プロジェクトの「ANOTHER TEACHER」を創設。これまで50校以上の高校で講演・授業を行っており、2020年には私立高校の探究クラスを受け持つ。2022年3月に丸紅を退職し、株式会社NEXCENTを創業。
株式会社NEXCENT https://www.nexcent.jp/
小澤悠Facebook https://www.facebook.com/you.xiaoze
父親からの教えと少年時代の挫折が「極める達人」小澤悠の原点に
父親が食品会社の4代目経営者だったという小澤さんは、幼少期から身近にいた祖父や父親から人として、経営者として大切なことをたくさん学びます。
早くも幼少期から「自分は経営者になってお父さんの後を継ぐ」ことを意識して生活していたそう。小学3年生からは中学受験の勉強をするために塾に通い、最後まで第一志望合格を目指して頑張りますが、結果は……
そこで第二志望で入学したのは、中高一貫のインターナショナルスクール。そこはルールがほとんどなく、自由な学校でした。
この選択が小澤さんの人生の中で大きな分岐点となります。
勉強の成績はトップクラス。しかしここでも思わぬ挫折を経験することに。
そんな挫折を乗り越えるために高みを目指して挑戦した一つが、中学から始めたトライアスロンでした。
ところが当初は全然泳げず、走るのも得意ではありませんでしたが、勉強以外にも高みを目指したいという想いで必死に練習を続けた結果、なんと高校1年生の時には市の大会で優勝するほどまでに急成長!過酷なスポーツだけに、小澤さんの努力がものすごく伝わってきますよね。
こうして、勉強以外にもトライアスロンに挑戦し、まさに文武両道が自分の特長に。校内でも一目置かれる存在となりました。
「いい感じやん!」
そう思っていたある日、小澤さんを待っていたのはある先生からの思いも寄らない一言でした。
「お前、Aマイナスの男で終わるぞ」
校内のカフェテリアである先生から小澤さんは突然こんなことを言われました。
「お前この学校に何しに来たん?勉強とか部活だけなら他の学校でやればいい。この学校では自分がやりたいことをみんな体現してる。勉強もトライアスロンもいい成績を残して、このままでもいいけど、Aマイナスの男で終わるぞ」。
正直めっちゃむかつきましたと小澤さん。
通っていた学校の成績のつけかたは欧米方式で、Aからはじまる5段階がさらにそれぞれ+、0、−(上、中、下)と3段階に分かれます。一番良いAの中でのマイナスなので、決して悪くはありませんが、親の会社を継ぐために人生を逆算して行動し、勉強もスポーツも人一倍努力しているつもりだったので、当然納得いきません。しかし……
そこから、先生を見返してやろうと小澤さんの逆襲が始まります。
学内プレゼンテーション大会へ参加したり、高校と大学の連携プロジェクトとして、大阪大学の院生と一緒に共同研究をするプログラムにも自主的に応募しました。
このように勉強、スポーツの成績も上位に。さらには、色々なことに挑戦をしていたことが功を奏し、指定校推薦で早稲田大学政治経済学部に進学。
大学でも挑戦を続けて、目標であったトライアスロンの全国大会にも出場しました。
就職活動においても高い目標を持って挑戦し、大手商社の丸紅に入社します。しかしそこでも試練はあったのです。
晴れて入社した大手商社。待っていたのは“暗黒の4年間”
入社して最初に配属されたのは、当時花形と呼ばれる部署で、穀物トレードの仕事をしていました。英語でのやり取りが飛び交う中で奮闘していましたが、小澤さんは当時を「暗黒の4年間」と言い、このように振り返ります。
しかしここでも小澤さんに気づきをもたらす人物が現れます。
後に小澤さんの上司となる労働組合の委員長とたまたま話す機会があり、転職について相談すると、
「お前はこの会社で何がしたいの?自分の夢は?」
そう言われたのです。
小澤さんは父親のように経営者になりたいと思っているけど、全くそういう経験ができていない、思うように仕事ができず面白くないといった悩みを打ち明けます。この後の先輩の言葉が、小澤さんを大きく動かします。
「自分で会社が面白くなるように努力したの?」
この上司との出会いがきっかけとなり、入社5年目で当時史上最年少で労働組合専従として異動。働き方改革担当としての役割を得ます。「会社を良くしたい、変えたい」という強い想いをもちながら、これまで遠い存在と感じていた社長などの経営陣と対等に話ができるその環境に、非常にやりがいを感じたと言います。
”暗黒の4年間”を経て、”希望の3年間”が始まる
暗黒の4年間では、「誰かと比較して自分を認める」ことに限界を感じていた小澤さん。労働組合に異動してからは意識転換し、「丸紅で一番ヤバイ奴になろう!」と決めたと言います。
「若くても、現状を打破し大きな組織を変えられる」
ここでも持ち前の圧倒的な行動力と高みを目指す力を武器に、自身の業務に打ち込み、それまで誰もやったことがないことをやり続けた結果、上記のような取り組みが次々とメディアに取り上げられるなんてことも!
「ヤバイ」=「目立ちたい」ではなく、この会社に貢献するために、自分には何ができるかを、固定観念にとらわれずに考えた小澤さんの「決意」だったのでしょう。
どこまでも「自分に正直に」行動していたそんな小澤さんにある日驚きの出来事が。
なんと、丸紅の会長から呼び出しがかかったのです!
会長「君、やってるらしいね」
小澤さん「何をでしょうか……?」
会長「教育プロジェクトだよ!」
一社員の”本気”が大企業の会長をも動かした
呼び出された理由は、小澤さんが2019年から副業としてやっていた教育プロジェクト「ANOTHER TEACHER」の活動が会長の耳に入ったからでした。
「ANOTHER TEACHER」は「日本人全員を先生にする」「みんな誰かのせんせい」という思いから始まったプロジェクト。全国から様々なジャンルで活躍する人たちを集めて、中学や高校へ出張授業として派遣し、それぞれにしか語れない経験やストーリーを子どもたちに「自分の言葉で」伝えるというもの。これまでに大学生や起業家、専業主婦まで様々な大人が「せんせい」として活躍しました。
もともと小澤さんは教育分野に関心はあったんでしょうか?
実際に、中高生の子どもたちと接する中で「大人側の」小澤さんはどんなことを学んだんでしょう?
このような活動を続けていたある日、テレビの取材を受けて自分たちの活動が世の中へ広く発信されることになります。これがきっかけとなり、高校3年生の「探究コース」の授業を50コマ任されることに!かなり充実していたと振り返る小澤さんですが、2021年を最後に、ANOTHER TEACHERの活動を仲間に託し、ご自身は新たな道を踏み出します。
人のエネルギー総合商社「NEXCENT」が日本初の挑戦へ
未来の社会を担う子どもたちに、「言葉で」「背中で」伝え続けていくため、小澤さんは丸紅を退社して2022年4月に株式会社NEXCENTを創業しました。
小澤さんの幼少期からの全ての経験、感じたこと、考えの変化など全てを詰め込んで、スタートを切ったNEXCENT。具体的にはどんな活動をしているのでしょうか?
さらには、2022年9月に新サービス「PLL LIVE」を発表。
あなたの所にNEXCENTからのエネルギーが届く未来はそう遠くはありません。
日本を元気にする会社「株式会社NEXCENT」から今後も目が離せませんね!
「本当の教育者」になるために始めた挑戦
小澤さんはグローバル社会を生き抜く為の一位を目指す教育に疑問を持っていたといいます。
幼少期から今の活動に至るまで共通しているのが、「挑戦」「高みを目指す」ということ。
しかし、その裏には数々の失敗がありました。
そんな挑戦、探究の達人である小澤さんはこう言います。
探究の本質として「自分が生きてきた人生を正解にしていくプロセス」という小澤さんの言葉も紹介しましたが、まさにこれがこれからどんな世代の人にも必要な姿勢であり、何かにチャレンジする際には必要不可欠なことではないでしょうか?
あなたは既に何かの「天才」で誰かの「オペッタヤン」
「オペッタヤン(教える人)」を紹介している本メディア。
最後に、実際にANOTHER TEACHERで数多くの人の「天才」を見つけてきた小澤さんに、「小澤さんにとってのオペッタヤンとは?」を聞いてみました。
ぜひ「自分の天才性」を見つめなおしていただける機会にもなれば嬉しいなと思います!
あなたには既に誰かの”せんせい”。
あなたは、誰に、何を伝えることができるでしょうか?
Interview & Edit by 内田 優光