待てる力
今年の3月で長女が幼児期を卒業する。4月からピカピカの小学生になる。
育児をざっと20年だと仮定すると0歳〜6歳、7歳〜12歳、13歳〜20歳前後ぐらいの感じでフェーズが変わっていくようなイメージを持っている。そう思うと今年の3月はきっと何かしらの区切りになっているんだろう…と思う訳です。
区切りならまぁちょっと振り返って考えてみてもいいじゃないか、という事でこの7年間の育児は私にとって何だったのかを考えてみたい。
もしかして、大半の親御さんは我が子の成長を振り返ったりするのかもしれない…だけど私は自分が主体なので(このnote内においては特に)子供の成長では無く、自分はどうだったのかを残しておきたいと思います。
待つ事
私にとってこの7年間の育児は一言で言うと「待つ事」を学ぶ7年間だった。
え?待つ事が出来なかったんですか?
そうなんです。待つ事ができない人間だったんですよね。ほんとに…
もぅ少し難しい言い方をすれば「物事を中長期的な視野で考える視点を持つ」と言う事だと思う。
人間て他の哺乳類に比べて未熟な段階で産まれてくるらしい。話せない、歩けない、五感も満足で無い、その辺の基本的な機能が成長するには一年程かかるらしい(諸説あります)
親はひたすらその基本的な機能が身につくまで待つしか無い。
出来る事がない。
栄養を補給させたり、快適な睡眠が取れるようにしたり、情緒が育つように話しかけたり…
色々やる事はあるけれど、成長したり機能を獲得するのは完全に子供のタイミングなのだ。
その成長を早めたりとかは基本、出来ない、と思っている。
いや、まぁ多少影響はあるのだろうし何より親が自分の為に良かれと思って整えてくれた環境に後々気づいて感謝されたりはするのかもしれない…。
でも正直その程度だと思っている。
それが現実だと思う。
この話を聞いて
「そうか、ならあまりプレッシャーを感じる必要はないか安心した」
と、思うのか…
「え、なにそれ、じゃあコチラが色々と気にして策を弄した所で夜泣きは続くし癇癪も治らないって事?!絶望じゃん」
と思うのか…あなたはどちらですか?
私はどっちもでした。
信じて待つ
いつ終わるか分からない仕事をただ淡々とこなしていく事は本当に辛い。
「1年後に落ち着きます」
とか言われても子供にもよるだろうし、発達の関係によってはもっと時間がかかる子もいると思う。
でも、ただ淡々と文字通りに積み上がっていくモノがあって、少しづつ出来る事も増えていく。
そしてその1日に愛情を掛ける。
そんなこんなの7年間だったんだろうと振り返って思う。
そして色んな事が解った今ならそんな毎日がめちゃくちゃ奇跡的に幸せな毎日だったと理解出来る。
これからもそんな奇跡的な毎日が続いてくれるとするなら…私もまた信じて待つしかない毎日が続いていくんだろうと思う。
君が獲得していく人生で主体はいつだって君なのだ
主体と客体
文章の冒頭からだいぶ主体的と言うか、自己中心的な人間性が出ているけれど、そんな私が他者のために客体になれた経験というかその幸せを腹の底から理解する経験だったのだと振り返って思いました。
ここまで読んで頂きありがとうございました!
そして世の中の親御様達、同志達よ…いつもお疲れ様です。
ではまた!