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大学生が福島の帰還困難区域にある自動販売機を見て感じたこと

(※2019年5月〜12月に書き留めておいた文章を修正・加筆・引用しています。当時のニュースや現状のため、現在とは異なる可能性があります。)

“そう、復興は進んだ。進んでいる。進んだことになっている。そして、復興の波に乗れない地 域や人々のことは、いないことに、忘れることにしようとしているのだ。” −安東量子 『海を撃つ 福島・広島・ベラルーシにて』

この一節は私が福島へ行く一週間ほど前に、大学図書館で題名に惹かれて、何気なく手に取った本の一節だ。

それが偶然にも震災後の福島について書かれている本であり、ボランティアで福島へ行くにあたり、少しでも何か知識を得られたらいいと思い、読み始めたものだった。

福島へ行ったことがなく、福島の情報はニュースでしか得る機会もなかった私は、この上記の一節を読んだときに大変困惑した。

なぜなら、私自身も復興は進んでいると思っていたからだ。

ここ最近で見た福島のニュースといえば、2020年の東京オリンピックの聖火リレースタート地点になったもので、どちらかと言うと復興は進んだ、終わったというイメージすら抱いていた。

今年発刊されたばかりのこの本に記されている著者の想いや、今もなお残された土地を文章で知るほど、自分の想像とのギャップが広がっていった。そして同時に、自分の目で今の福島を見たい、そして自分はどう感じるのか確かめたいと強く思うようになった。 

◆自分の目で見たもの

大学の復興支援プログラムを利用し、福島を訪れた。

とにかく衝撃的だった。復興は進んでいた。進んでいる。確かに進んでいることを、南相馬市でのフェス運営ボランティアで感じていたというのに、

帰還困難区域での視察では、

止まったままの時計、倒れたままの墓石、何もないというよりも、何もかも失った土地、希望の牧場に書かれたサヨナラの文字、積み上げられたトン袋、安全だとしても原発に近づくほど数値が上がる放射能測定器がいま自分の目の前にある現実に驚いたと同時に、納得をした。

冒頭で記した一節の意味、この本が今年出版された意味が自分の中で掴めた気がした。

◆自動販売機から考えたこと

帰還困難区域を車で走っていると、自動販売機を見つけた。自動販売機は、全体的に凹み、塵などで黒くなっていたが、中に入っている売られていた商品のパッケージを一瞬見ることができた。

8年前、私が小学生だった時によく飲んでいたゼリー状のジュースがあった。

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(こんな感じのやつ)

「あのジュースよく飲んだよな、懐かしいな」と感じた自分が、どれだけ無礼かを反省した。

私が小学生から大学生へと成長している間、この土地にも同じ8年という長い歳月が経過しているにも関わらず、懐かしいと感じてしまうほど、社会から取り残された場所であると再度気付かされた瞬間だった。

忘れられようとしている町の存在を知らなかった自分が今何をできるのか、東京へ帰った後もずっと考えた。 


◆今、私にできること

それは取り残されていくものを忘れないこと。

一部だけの修復で、 福島は復興したとまとめるのではなく、一歩ずつ進んでいるものと止まったままものが複雑に交じり合っている被災地と、暮らしている、これからも生きていく人々の存在に“気付く”ことなのではないか。

ここまで読んでくださった皆さんの何かしらの気付きに貢献ができたとするのであれば、とても嬉しい。


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