愛と認識
家畜とは、ペットとは?
我が家(宿)では2023年3月よりひよこを飼い始めた。初めての家畜を世話することになり、同年8月頃より卵も産み始めた。
とある宿泊ゲストの家族の話。
5歳児が家畜の鶏を触って抱いて「可愛い!可愛い」という。
夕食の時間となりスーパーで買ってきた若鶏もも肉が晩御飯の具材として準備されている。
同じ5歳児はそれをみて「チキン!チキン!」という。
親は言う「さっきの鶏ちゃんと同じだね」と特に何の重たさもなく話すと、その5歳児は「え?チキンと鶏さんが同じ..なの…?」と言って数秒間固まった。あの固まった数秒から様々なものが見え感じた。
私達大人達も幼少時期にこのような似た経験を通ってきて越えてきたのではないだろうか。子供から大人になるにつれて人は自分の中に線を引きながら生きていくものだなという実感した事柄だった。
虫と人 ちょっと昔の話。
小さい頃は自然に触れて育つ環境の中で子供は残酷ながら小さな虫を残酷なまでにいたぶって殺生したものだよと人から聞いた。どこにでもバッタやトンボ、カエルなどが身近にいたくさんいてそれらの虫は子供達は弄んで殺すものだった。
その虫達は中で、ちぎればもがく、切れ離せば死ぬ。そのことを肌感覚で心に刻みいつしか大人になるにつれて誰もやらなくなる。
これは学校の授業やデスクの上で学ぶことではなく、自然の中で遊んで楽しい感覚が嫌な感覚に移っていくことを子供ながら認識していたことになる。
自分以外のものに与える痛みとはなんですか?
子供から大人になる過程で、私たちは生き物に対する感情の中から表現方法を学んでいく。
このような時代背景の中で感じ取れることであるならば、生活環境、文化的背景や個人の経験によって大きく異なり。この違いは私たちがどのように動物を見るか、そしてどのように愛情を表現するかに深く関連してことになるのならば、ペットと家畜の違いとは何か?という問いには多くの思慮深い点が浮かび上がってくる。
ペットは家族の一員
20世紀に入ると、ペットを家族の一員として扱う文化が西洋社会を中心に広がっつたそうである。
この文化的変化は核家族化の進展や社会的孤立感の増加が背景にあり、ペットは情緒的な支えとなり愛情を求める人々にとって重要な存在となったことは想像できる。ペットへの深い愛情は彼らを単なる動物ではなく感情を共有できる家族の一員として見ることから生まれます。
一方で家畜に対する見方は、彼らの実用性や経済的価値に重点が置かれることが多いと思うが、それでも家畜に対する尊重や愛情が全くないわけではない。
人に近い、人に扱いやすい動物であるからこそ家畜とし一緒に歴史に残ってきた。
古くから愛されてきたことに間違いないが、世界的な観点で見れば文化や価値観の上で『ペットと家畜』の間の境界線は複雑な感情や文化的な影響によって決まり、違いが生じる。
ペットや家畜に対する愛情は私たちの人間性を反映する。
この愛情が他者への愛情へと変容する過程は、幼少期より私たちがどのように他者との共感力を育て、人間として成長するかを示している。
動物との関わりは人としての道徳的な感覚を養い、他者に対する思いやりとか愛情を深める貴重な機会を創出する。
動物に対する愛情を通じて、人を虐げたり、傷つけたりすることがいかに誤りであるかを、ただ論理的に理解するのではなく、愛情から学んできたのだろう。
"いきものがかり"がない時代へ
どこの小学校でも家畜を飼育することをやめていると聞く。飼育当番、いきものがかりがなくなってきているということだ。
動物と相対して生まれる感情が得る機会がないというのは悲しいことであり、家にいるペットがそれを補えるのかといえば少し違う。
ペットへの愛はそもそも存在しており、家畜への愛は徐々に芽生えるものである。
その愛の変容を体感できないのはなんとも悲しいことである。
結局のところ、ペットや家畜への愛情は私たちが人間としてどのように成長し他者と共生するかを教えてくれる重要な要素なのだと感じる。
動物に対する愛情が他者への愛情へと転化する過程は私たちの人間性の深い側面を映し出しており「愛のないところから愛が生まれる」それは私たちがより思いやりのある「平和を愛する」存在へと成長するための重要なステップなのではないかと思う。
愛と認識
続く戦争、止まぬ殺戮、いがみ合う対立。
ペットと家畜の違いは何か?始まりはさほど大きな問ではなかったが、考えている内に半年が経過していた。
ふとした時に今まで述べきたことを1つの言葉に置き換えられた時にこの文章が書けるようになった。「愛と認識」これかなと。
この差が埋まれば平和に近づくのであるのだが、文化的背景、自然環境の違いが人間をそうも簡単にひとつにはさせない。また対象物が老いたり朽ちたり消失したりと時間の経過と共に変容していくので留めることは難しい。愛も認識も変わるものだと思っていた方がまた愛のないところにも愛を生み出す方法なのかとも思う。
「ペットと家畜」の違いで平和の話まで、こんなにも考えてしまった事はいささか考えすぎと思われるかもしれないが、鶏を飼育し始めて改めてこう考えるきっかけを与えてもらい、こうして文章として外に出してまた結局は今も考える。
ペットと家畜で比較して考えて始めてみたらこれは「人と人」の比較にも例えられるし、そうであればその差はいっそうますます大きく数も多くなる。愛は人と人、あなたと私では大きく違うものだと認識したペットと家畜の何が違う?話。
最後に今はこう考えるがこの思考はまだ続くかもしれない。
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