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蔵のちょっとだけ部長をクビになったあの頃の話

自転車すぐパンクする。

そうです。悪路走りすぎJKだった人間こと、私です。


今回は日記ではなく、みょーさん主催の企画『ちょっとだけコンテスト』に参加させて頂きます。


今回のお題は『ちょっとだけ〇〇な話』とのことなので、ちょっとだけ私の高校時代の部活動のお話をしようと思います。初参加なので緊張ですでに胃が痛い。

読みにくい部分も多分にあるかと思いますが、何卒ご容赦頂ければ。




高校1年生の春。某都立高校に通っていたJKこと私は悩んでいた。

何を悩んでいたかというと、入学後すぐに入った部活、剣道部と文芸部のことだ。

私が通っていた高校では、2つの部活を兼部すること自体は禁止されていなかったので、1つの部活に決められなかった私は、どちらの部活にも話を通し、週に1回の文芸部の活動以外は剣道部に出席する、という内容で部活を掛け持ちしていた。

しかし、昔から道着や竹刀に憧れ、ずっとやってみたいと思って入部した剣道部と、高校で出会った友人に誘われ入部した文芸部。どちらも自分の意志で入部したのに、全然楽しくない

それというのも、剣道部の同級生は私以外の6人全員男子で話し相手がいないし、練習がきつい。本当にきつい。防具は重いし暑いし臭いし、竹の棒で頭ひっぱたかれたら痛いし。毎日辛かった。

もう片方の文芸部は、主に小説を書いたり絵を書いたりと自由な活動内容であったし、私が入学した前年に先輩は全員卒業していたので、部員が私と友人達の4人しかいないのも気を使わなくて楽だった。

あれ?文芸部の方楽しいのでは?と思うじゃないですか。それが何を思ったのか、当時の私は中二病をこじらせたまま高校へ進学してしまっておりまして、

「剣の道を極めながら、文芸部の部長もこなすとかかっこよくね?」

と思っていた。剣の道を極める!ってどこかの漫画で見たんでしょうね。

とにかく、一度決めたことは何が何でもやり通したいという謎の頑固さを発揮し、そんなに楽しくないけど剣道部をすぐに退部するというのはなんだか悔しくてできなかったし、えー!?剣道部と兼部してるのに文芸部では部長なのー?と周りに言われたかったので、結構やることが多い文芸部の部長業にも自ら立候補した。

そう、剣道部員兼文芸部部長の爆誕である。かっこいいか?これ。

そんなアホな理由で自らを苦行に追い込み、剣道部の厳しい練習も手を抜きたくなくて必死に取り組んでいたし、文芸部の部長業もヘトヘトの体でなんとかこなしていた。今思えば、破裂寸前の風船のような高校生活を送っていたと思う。

そんな生活から半年経ったある日、文芸部の顧問の先生から職員室に呼び出され、文芸部の活動報告の提出が滞っていることを理由に、部長を交代したら?と告げられた。

そう、私は高校1年生にして部長をクビになったのだ。

活動報告というのは、今週はこんな活動をしました、という活動内容を専用の用紙に書いて生徒会に提出するもので、それをしないと最悪部活停止処分になるという超重要なもの。それを、剣道部が忙しいから、という理由でいつも出すのがギリギリになっていたのだった。

毎回生徒会に迷惑をかけていることもわかっていたし、書くのが辛かった私は、今、どっちの部活も楽しそうに見えない。と先生に諭され、友人に部長を変わってもらうことにした。

それからの私は荒れた。

剣道部の練習も仮病を使ってさぼったり、文芸部でも良い小説が書けなくてイライラして部室で大声でマジンガーZのオープニング曲を歌って先生に怒られたり、学校の自販機でしか見かけたことのないカルピスのロング缶を毎日浴びるように飲んだり……。

とにかく荒れた。

部長をクビになったことが恥ずかしくて悔しかったからだった。

その荒れ様から、剣道部の先輩に「最近どうしたの?最初の頃は、先輩、私……誰よりも強くなりたいんです……!って言ってたじゃん」と言われますます部活をさぼるようになったりしていた。

文芸部の方も、剣道部でうまくいかなかったことを相談しては部室でぐだぐだと過ごし、月に数本書いていた短編小説もほとんど書けなくなっていた。

しかし、不思議とどちらの部活も辞めたい、という気持ちはなかった。部長業、という重荷が下りて、身軽になったこともあったかもしれない。

辞めたくない理由は、自分で決めたことだから、というのも1つの大きな要因ではあるが、そもそもどちらも、自分が好きなことだからだ。

好きなことだから続けているのに、楽しくない。でも、どちらの部活も、先輩も同級生もみんな良い人だし、どっちの部活も適当にこなしているだけの私をいつでも暖かく迎えてくれる。そんな人たちを適当に扱って本当に良いのか?好きなことを、同じ気持ちの人たちとちゃんと共有したらもっと楽しいんじゃないのか?

兼部しながら部長なんて自分にできないことを勝手に抱え込んで、自滅していただけじゃないのか?

そんなことを考えている間に2年が経ち、とうとう剣道部の先輩はみんな卒業してしまった。

1つ上の学年の先輩に中学時代の部活の先輩がいたので、励まされ、荒れていたあの頃からなんとか復帰して真面目に部活には出るようになっていたものの、その先輩も卒業してしまい、とうとう私は1人になった。

残念ながらその当時は後輩も誰1人入部してこなかったし、残り1年間は文芸部の方に本腰を入れて、剣道部はもう辞めようかな、と思っていたとき、あと半年なのにもったいないな、という気持ちが急に込み上げてきた。

打ち解けられないなりに会話はしたし、なんだかんだ2年間一緒に練習して試合に出た仲間と、このままお別れで良いのだろうか、とここに来て剣道部を離れることが名残惜しくなってしまったらしい。

そこで、2年間も人見知りを発揮して誰とも打ち解けられなかったのだから、最後の半年くらいなんとかしてみよう、と思い立ち、男子しかいない同級生の輪の中へ突撃することにした。

すると、当たり前だが私が会話をしてこなかっただけなので、同級生たちはみんな「なんだ、やっと話せるようになったか~」「もう3年生なんだけど」「待ったな~」等、普通に輪の中に入れてくれ、最終的に漫画を貸し借りしたりローゼンメイデンの話で白熱したり、一緒に竹刀で野球ごっこをして死ぬほど怒られたりした。

剣道部のほうがうまくいくと、ただのお悩み相談所と化していた文芸部のほうでも良い作品が書けるようになり、卒業制作で作った部誌に載せた小説は、あの時クビを言い渡された顧問の先生にも褒めてもらえるような作品を書くことができた。

あの時意地になって文芸部の部長を続けていたら、卒業するまで両方の部活共に続かなかっただろう、と今は思う。

部活辞めたくない、でも辛い、と毎日毎日愚痴ばかりだった私に、自分の好きなことを選んで活動するのが部活動なのだから、もっと肩の力を抜いてやりなよ、と言ってくれた家族や友人に感謝している。

あと、漫画みたいなスーパーJKになろうとするな。自分の容量考えろ、と当時の私に言いたい。

部長、クビになって本当に良かった。




ということで、長々とお目汚し致しました。蔵の『ちょっとだけ部長をクビになったあの頃』の話でした。

上記の通り私はかわいそうな高校生活を送っており、他にも掃除機にエリザベスという名前を付けて連れまわす、意味もなく道着のまま校舎内を歩き回る等大変にこじらせたJKでありましたが、もうあんまり思い出したくないのでこの辺で終了します。

剣道部員の同級生たちとはその後普通に打ち解け、3年の引退試合ではみんなともう練習できないことが悲しくて私だけ号泣しました。みんな引いてた。

当時は辛かった思い出でもありますが、こうしてネタにできているので、良い経験だったのかもしれないな、と書いていて思っています。JKって今の子達も使ってる?大丈夫?

みょーさん、楽しい企画をありがとうございます。この場を借りてお礼を申し上げます。


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