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25歳一人っ子、母ががん宣告を受けた5ヶ月後、父も癌になる。⑧〜母の検査結果〜

先日は年休をとって母の検査結果を聞きに行きました。
母はついてこなくていいと言ってけど、悪い結果だったときに母を一人にはしたくなくて、半ば強引についていきました。

採血が終わり待つこと1時間。
患者番号が機械音で呼び出されるたび、次は母か、次こそ母か。と胸がザワザワしていた。あれほど心臓に悪いものはない。

そうしてやっと母の診察番号が呼ばれて中にはいる。

早速だけど…と言って先生が話した言葉は、
「CT撮ったけど、今のところ転移は見つかりませんでした。いい結果です。」

はあああああああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
まじで生き返った〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

肝臓の結果が悪かったのはなんだったのかというと、
「抗がん剤で正常な細胞も攻撃しているからだろう」とのことだった。

よかった。これでやっと寝れる。ご飯も食べられる。私が。
本当に血液検査をしてから生きた心地がしなかった生活も一旦終わり。
安心感からか一気に眠気が襲ってきた。

そして、抗がん剤治療も予定通りあと2クールは頑張ろうという形で話が進んだ。
今日も通常通り行うと。
だから母とは一旦バイバイ。

母の抗がん剤の点滴が終わる時刻まで、街中でお買い物を楽しんでいた。

パフェ食べたり、ブックカバー買ったり、雑貨買ったり。
ただの散財である。

最近気づいたのだが、私はストレスが溜まると食と買い物に走る。
高級食材やブランド物などを買うわけではないのだが、ちょっと我慢していたものや、今別に必要のないものに手を伸ばしてまう。
誰に咎められているわけでもないが、ちょっと罪悪感。

満足するくらいに街中をぷらぷらして、ちょっと早めに母の病院へ戻った。

化学療法センターの前に座り、本を読みながら母を待つ。

物語に耽っていると、50代くらいの娘に連れられて、杖をついたおばあちゃんが化学療法センターに入っていく。頭には毛糸の帽子。

少し離れた席には、「次の抗がん剤は…」と薬剤さんであろう人と話す40代くらいの女性の姿。
薬剤師さんの言葉ひとつひとつに丁寧に頷き、微笑む。

目の前には80代くらいのおばあちゃんが静かに座っている。
しばらくすると、抗がん剤が終わったのであろう、おじいちゃんが「長くなった」と言っておばあちゃんの隣に現れた。
おばあちゃんは穏やかな笑顔でおじいちゃんにマフラーを結んであげている。
「あったかくしないと」「コートのボタンが掛け違えていますよ」
その表情から、おばあちゃんがおじいちゃんのことをどれだけ愛しているのかが伝わってくる。

母や父が癌になるまで、全然意識していなかったけど。

病院に行くと感覚が研ぎ澄まされたように不思議な気持ちになる。
生と死がまとわりつくような、感じ取ってしまうような、居心地の悪さがあるが、それもすぐに慣れてしまう。

そうしてまた一歩外に出ると、あたりまえに明日も明後日も、一ヶ月後も来年も、その先も、あたりまえに生きていると思っている人や情景や騒音が押し寄せてくる。
そんなわけないだろ。生と死は背中合わせなんだぞ。って思いながらも、私はまた外の世界に慣れてしまう。

行ったり来たりしていると、自分は何て不思議な場所に辿り着いてしまったんだろう思う。
まるで、イザナミを黄泉の国から連れ出すイザナギのよう。

そんなことを考えていると、母が抗がん剤を終えて私のそばにやってきた。

見るからに気持ち悪そうである。
歩ける様子でもなさそうなので、しばらくベンチに座っていると、まさかの血混じり嘔吐。

ええええええええええええええええ、大丈夫なん。
いや大丈夫なわけあるか。

すぐ看護師さんに助けを求めて、母、再び化学療法センターに連行。
私は棒立ち。
看護師さんが心配ないと言ってくれたが、呆然である。

そこから1時間ほど待ち、顔色が戻った様子の母が現れた。

「お腹すいた〜お寿司でも食べて帰ろ〜」

え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
大丈夫なんですか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

何度か引き留めたが、絶対もう大丈夫と言って聞かないので母をお寿司屋さんに連れていく。
甘えびと、穴子と、真いかと、鳥の唐揚げと、おでんと、熱燗を食べて飲んでご馳走様でしたをしていた。

相変わらずパワフルである。

いつまででもそんな母でいてほしいのだが。
とにかく今日のところは良かった。
このまま全ての不安が消え去ってくれればいいのに。

おやすみなさい。


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