「死にたい」が私のアイデンティティ
こんばんは。
みなさんのアイデンティティはなんですか。
自分がどういう人物だと認識していますか。
大学生になって、あの子がこの世から去って
中高生の頃と比べると病まなくなってしまいました。
浅いリストカットしかできなくなってしまいました。
夜、しっかりと眠るようになってしまいました。
朝、起きれるようになってしまいました。
学校に遅刻しないようになってしまいました。
課題を毎回出すようになってしまいました。
いじめられなくなってしまいました。
親からの暴力がなくなってしまいました。
大森靖子のライブに行っても泣けなくなりました。
泣けなくなってしまいました。
これはきっと普通になれたということで
幸せだということなんだろうと思う。
小学校の頃に私が寝ている隙に窓から侵入してきて私を殺そうとしてくるイスラームのテロ集団はもういないし、中学校の頃の集団ストーカーも包丁を持って追いかけてくるおじさんも植木鉢を上から落としてくるおばさんもいないし、高校の頃に私の内側で息づいていた「私が死んだら世界が滅びてしまう」という私の中のスーパーヒーロー精神も「私が死んだら世界が平和になる」という私の中の魔法少女精神もいなくなってしまった。
毎日、毎時間、毎秒「死にたい」と本懐していた私は
過去の私となってしまった。当時通っていた自殺サイトもGoogleからは辿りつけなりSNSで#集団自殺募集と投稿したらすぐにアカウントが凍結されるようになってしまった。
取りわけ、今は「死にたい」と思ってないかと聞かれれば別にそういうことではない。今でも、死にたいと思うときはあるし、自殺方法も自殺のニュースもいつかの参考にとブックマークに保存している。でも、前ほど自殺に対して前向きでもなくなり、Twitterで「一緒に死にませんか」と誘われ9月に公園で首を吊って死ぬ予定だったがバイトが入ってしまったので断った。あれほど望んでいた死ねる機会を私は無駄にしたのだ。あれほど望んでいた「死の機会」を私はみすみす逃してしまったのだ。ならば、今は死ねないのか?
持っていた首吊り用のロープ三本は母に切り裂かれ(お母さん、ごめんなさい)今は死に至ることの出来る道具を持ってはいないから死ねない。それを死ねない理由にしてはないか?別に今だって買おうと思えば通学途中の天神のユザワヤでロープは買うことができるし送料はかかるがAmazonで練炭も購入できる。玄関を出て階段を昇れば15階に行って飛び降りだってできる。私はいつだって死ねる機会を逃している。なにかと理由を付けて死から逃げている。あれほど死を望み、朝起きた瞬間から通学中を授業中も下校中もいつ自殺しどう自殺するか反芻し計画を練っていたはずなのに。それなのに、なぜ死んでいない?なぜ、今を生きているのだろう。
もはや、こんなことを考える私ももうすぐいなくなりそうだ、どんどん薄くなっていると感じる。死について考える私はいなくなり、いつしか死を怯えるようになるのだろうか。そうなってしまったら、私は一体何を拠り所にして生きればいいのだろう。
小学5年生から高校3年生まで自殺することが私の唯一の光であり、それに縋りずっとそれだけを考えて生きてきた。
そうであったはずなのに、死にたいと希求する私は日に日に消えかかっていくようになりフラッシュバックの頻度もリストカットの頻度も少なくなっている。道端で倒れることもなくなり幻覚や幻聴も”まぼろし”だと認識できるようになり、普通に公共交通機関に乗れるようになってしまった。雑踏に紛ればどこにでもいる普通の人間になってしまった。そういうことでいいのだ、凡人でいいのだ、何者になる必要など全くなくそんなものはもう要らないのだ。
でもどうしたらいい?私は「死にたい」と毎日願い死に向かって進む私しか知らない。今更、違う私になろうだなんて分からない。私は「死にたい」と願う私だけが私であったのに。嫌だ、失いたくない。死にたい。死にたいと思いたい。もっともっと苦しみたい。あの頃の重力に完全に負けて保健室のベッドから起き上がれないあの感覚を、空や川の水が灰色にしか見なかったあの感覚を、誰かに殺されるかもしれないと怯えて過ごしたあの感覚を、あのときの感覚を私はもう一度取り戻したい。まだまだ苦しまなきゃだめだ、23時に眠りにつくだなんて有り得ない。友達、恋人が出来るだなんて有り得ない、あってはならない。眠れなかったあの夜を私は取り戻したい。ごはんが食べれず飲むゼリーを頑張って飲む私を過去を反芻して苦しみ涙が止まらない私を取り戻したい。急に消えてしまってどこにいってしまったのだろう。こんな自分は嫌だ。もっと、もっともっともっと死にたいと思ってもらわないともっと苦しんでもらわないともっと孤独にならないともっと涙に溺れておかないと。幸せになるだなんて許さない。
私には死にたいしかアイデンティティがないのだから。