不倫系ドラマが量産される時代に思うこと
日本のドラマは不倫系ドラマが多い。
一般人が芸能人の不倫をすぐ叩きまくるのに・・・
フィクションだから見たい、現実では見たくない。
その考えも理解できる。
自分自身がその当事者になれば、膨大なストレスと時間を費やして何も得るものがない、または相手から略奪し報酬を得る。
ただ、こんなにも不倫ドラマを量産するのはどうなのだろうかと疑問が沸いてくる。
「需要があるから作るのは当たり前でしょ」
それに従って安易に作り続ける。
結果、視聴率は取れても「また同じようなものだね」「この設定前に見た」「結局最後はああなるんでしょ!」「スッキリしないなぁ」といったありふれた感想が多い。
だんだんと斬新な発想のドラマが消えていくし、企画として通らなくなる。
さらに時代の流れを見て、視聴者の苦情や批判を気にしてばかりだ。
日本のドラマの欠点は、「主張したいことが薄いまたは主張すらない」
ダラダラと日常が描かれて、俳優が大声で騒いで問題発生!
何人かでああでもない、こうでもない、どうしよう。その後主人公が登場して解決の方向へ導く。
またはどうしようもないけどこれが最善の方法だねとなる。
結局、これって何が言いたかったのかとなる。
何も言いたいことすらなくてただの時間の浪費で終わってしまったと感じる事さえある。脚本家の力不足が大きい!
一方韓国ドラマは、「これを主張したいというものがはっきりとしている」
一話ごとに主張があって、無駄なシーンが少ない。
さらに全体の構成がまとまっている。複数の脚本家、監督、スタッフ、出演者などの全ての力が結集して時間をかけて丁寧に作られているのだ。
だから、サブスク系の配信サービスで韓国ドラマが世界各国でランクインするのは当たり前である。
私は、不倫ドラマを徹底的に叩きたいわけではない。
そんなに量産する必要はないということが言いたいだけだ。
「こういうことを言いたい」
言いたいことをわかりやすく、適格に作って欲しい。
考えて議論する余地のあるものを作って欲しい。
「ちょっと世の中で話題になっていることを描いてやりますか」という精神では良い作品は作れない。
しっかりと頭の中で考え、多くの人と議論を繰り返しブラッシュアップしたものを作るべきではないかと思う。
時々私がもっと力を付ければ、面白い企画や脚本が書けるだろうと考えることもある。