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働きたくないのはなぜだ。

毎朝襲い来るこの気持ち。思えばこいつとは物心がついた頃からの付き合いだが、そもそもちゃんと向き合ったことはなかったのではないか。
幼稚園行きたくない、学校行きたくない、働きたくない。
人は永遠のイヤイヤ期だ。私だけかもしれないが、いや、私の周りの友人たちも大体二言目には「働きたくない」と言っている。この働きたくない気持ちについて少し考えてみようと思う。

私は本当に働きたくないのだろうか。仕事を休みたいと思う理由について考えてみた。
するとまず第一の重い門である「自宅のドア」が襲い掛かってくることがわかった。こいつだ。これはとびきり重たいドアだ。働きたくなさの原因として、「通勤めんどくさい」が相当な割合を占めていることがわかる。
誰しもが経験しているであろう、「行ってみたら意外と大丈夫だった」事案。幼稚園行きたくない、けど行ったら楽しかった。おなか痛いから学校休みたい、けど行ったらおなか痛くなくなった。絶対今日は働けない、けど行ってみたら仕事できた。こいつの正体は「行くの面倒くさい」なのだ。
重たいランドセル。アホのように混む交差点。開かない踏切。満員電車を我が物顔で陣取るおっさん。朝、戦場への道にはあらゆる敵が立ちはだかる。乗り越えてたどり着くのは宝島でも桃源郷でもなく、「勉強」「労働」といったルーチンエネミー。これが半永久的に続く。人の心を折るには充分だろう。
朝の身支度の手間もまた非常に重たい。たいして綺麗になりもしない化粧をする。たいして綺麗になりもしないといったって、しなければそのままその化粧でもどうにもならないような物を世間様にお披露目しながら生きていかねばならない。それはけしからんことである。汚い家に人を招くに等しき無礼さ。結果ではなく経過が重要なのだ。つまり、「隠そうとはしましたよ」という努力を見せなければいけない。ゆえに、化粧をする。
一目見て部屋着とわかるぼろぼろのでろっとしたワンピースを着ているので、それも着替えなければならない。髪の毛も金タワシなので、せめてベビースターラーメンくらいにはしてやらないといけない。最近見ないなあ金タワシ。ベビースターラーメンは今でも食べる。美味しいから。
人によってタスクの重さは違えど、そうして朝外に出るためには様々な難関が立ちはだかる。
結局のところ、嫌なのはこれ何じゃないかと思う。仕事がそんなに嫌いかと言われれば、わたし個人としては決して嫌いではない。

仕事の何が良いって、すぐに目に見えた成果が出るところだ。世の中には結果がなかなか出ないもの、成果が目に見えづらいものがたくさんあって、その目に見えないリターンのために全力を尽くさなければいけないことなんてザラにある。
だが仕事は違う。仕事は成果が目に見える。自分が今日どれだけ働いたか、やったことの結果がどうなったか、短いスパンで確認できる。良いことをすれば褒められるし、失敗すれば注意される。しかもお金がもらえる。
時間も手間もかかるがその分、お金と評価と満足感がついてくる。結果が出ないことが多いこの世の中で、こんなにもわかりやすくやりがいのあることがあるだろうか。
私の友人たちは技術を身に着けていることが多く、ハンドメイドであったり絵であったりパーソナルカラー診断であったりと、それはやりがいのあるであろう趣味と実益を兼ねた時間を過ごす術がある。だが私にはない。何もない私にとって仕事とは、「やった感」を味わえる最も簡単で手軽でメリットの多い、とても良いものなのである。
だから私は仕事が嫌いではない。
そりゃやりたくないことも行きたくないときもとにかく寝ていたい日もある。何もかも投げ出したい時も、上司の頭を張り倒して走って逃げたい気持ちにもなる。
けれど根本的に私は仕事が嫌いではないのだ。きっとそういう人は他にもたくさんいると思う。
そういう人たちを根本的な仕事嫌いにさせないために、通勤であったり理不尽であったり賃金であったり賃金であったり賃金であったりを改善してほしいものである。

#仕事について話そう


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