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久しぶりに母親として過ごした日は、その役目の終わらせるのも子どもなんだと知った日となりました。

娘の婚礼写真撮影のために東京に向かった金曜日。
連日感染爆発と報じられている東京へ行くのは、のっびきならない事情があっても、え?という顔をされる状況だから、前日まで、行くか行かないか悩んだ。地方も人口が少ないだけで同じ状況なんだけれどね。

悩み過ぎてすでに疲弊した状態で、朝2番目に早い新幹線二人掛けの窓際席へ。コロナ蔓延中だからなのか、通勤時間を過ぎているからなのか、席はガラガラでホッとする。
デカめのボトルで持ってきたアルコールで周辺を消毒してから、パソコンを開いて職場のチャットをざっと確認する。

戻り梅雨の空には薄い雲が張り付いていて、止んでいる雨はすぐに降りだすのか、それともこのまま降り出しそうな曇り空を貫き通すのかわからない。
このところずっと同じような空模様で、それは私の頭の中とよく似ていると思う。

私の中にある深い深い底の見えない涙の壺はとっくの昔にふいに溢れてしまったことがあって、溢れたことで壺があることを知ったので、それからは溢れないように少しずつ零しながら用心して生きている。
時間は過ぎ去ってみないと長さは測れないからこうして働いて食べて生きている間はまだ途中だし、面倒くさいことは延々と続くから先はまだ長いと思ってしまう。壺は相変わらず重い。

でも、母親として過ごした期間はあっという間だったと振り返って思う。
ちょうど、落合恵子さんが「人生は長編小説だと思っていたけれど、過ぎてみたら短編小説だった」と時代を担って来た文筆家らしい、的確でそして泣きたくなるような表現をしていて、母親としての私の人生は短編より短い掌編小説であったと思った。あるいは一編の詩だったかもしれないが、そこに散りばめられた言葉は全部違っていて、全部に深い意味が重なっていて、全部がきらきらと輝いている。
ちゃんと母親を、それも「幸せな母親」をさせてもらったと、読み返してしみじみ思う。

コロナ蔓延の中、仕事を休んで私用で出かける罪悪感と緊張感の重さに負けそうにもなったけれど、娘の思いに寄り添うという母親の役目は多分これで最後なのだろうと思って、出かける決心をしたのだった。
コロナは様々なシチュエーションで大なり小なり人の大事な何かを壊し続ける。疲れて泣きたくなるのは私が人間として未熟だからなのか、それともただ歳をとったせい?

昨年相次いで亡くなった父と母の婚礼の日のモノクロ写真を胸に抱いて、同じように白無垢と羽織袴の若い二人が幸せそうにカメラを見つめている。
数日前に、祖父母の婚礼写真と一緒に写真を撮りたいから撮影して画像を送ってくれと頼まれてメールで送ってあった。
66年前の若かった二人のその後の長い歴史の最初の1ページを印刷してフレームに入れて一緒の写真に納まった若い二人の気持ちを、ここにいない二人は喜んでいるだろうか。それで不仲だった私と母のわだかまりがチャラになるとは思っていないけれど、孫と一緒の写真を喜んでいたらいいなと思う。

今流行りの由緒ある古民家での撮影プランは、日本の文化などを研究している金髪のパートナーと相談して決めたのだろう。
2時間ほどの撮影時間で家屋内、庭と、場所を移して、声のかけ方から腕が良いであろうとわかるカメラマンに撮影される花嫁と花婿を見ながら、母親の私はスマホで動画を取ったり、合間にメイクさんに撮影してもらったりしながら過ごした。
新郎は足の長さも身長もサイズ的には日本家屋に合わないが、不思議と和服の佇まいが自然で似合っていて、諸事情あってその日初めてちゃんと話したのだけれど、日本語でアラカンの私ときちんと会話ができる青年であった。ふたり似合いの夫婦だなと思って、嬉しかった。

子どもを産んだだけでは親になれない。
子どもと一緒に泣いて笑ってけんかして心配して心配して親になっていくのだ。そうやって親にしてもらってそして、
親の役目を終わらせるのも子どもなんだと知った。
ありがとう。
今度は心配される側になっていくけど頑張るね。


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