淋しさを知っている人間は人の淋しさにも敏感だ…なんて色々思い出して考えてしまう。一日一緒に過ごした姉をGHに送った日の夜は。
「冷やし中華が食べたいですね」って書いてあったの。障害者さんのグループホーム(以下GH)で暮らしている65歳の姉から週一くらいのペースで届く、暗号を解読するように読まなければならない、なぐり書き悪筆の手紙(しかも多い時は便箋10枚分!)に。
食べさせなくちゃ。食べさせてあげたい。って思って休日の今日(6月29日)、迎えに行って家に連れて来て冷やし中華作って、部分入れ歯が入っているので胡瓜もハムもできるだけ細く切って、卵焼きは金糸じゃなく8コールのゴムひも位の太さになっちゃったけど、甘めに味付けして、大好きなチョコパフェも作ってバナナを載せてあげたら、冷やし中華はきれいに平らげて汁まで飲み干して、パフェのバナナ見て「おお!バナナ!」って喜んでぱくぱく食べてお腹いっぱいになったらしくて、ソファでうたたねしてる。
そう、私の姉は見た目可愛くはない老いた子ども。
自閉症でIQが高い(小学生の頃検査して140あったらしい)けれど、愛情とか社会性とかの発達がデコボコボコボコで環境で左右されもして、興味関心が偏り過ぎていて、記憶力がハンパなくて耳コピでピアノが弾ける能力があって、長い年月日記を書いていて(字が汚くて自分でも読めないところがあるらしいと知り、パソコンをあげたので、今は大丈夫)、ピアノは流暢に弾くのに手先が不器用でボタンが嫌いだし、Tシャツの前後の判別ができないから、前面に認識しやすい動物の絵がプリントされているTシャツ(いいのがない時は絵を描いてやることもある)やボタンのない服やズボンを用意する必要がある、多分死ぬまで手のかかる子ども。
長い髪をひとつに結ぶこと(本人曰くポニーテール)にこだわっていて(定規で髪の長さを測定してノートに記録している)切りたがらないけれど、それでは社会生活に支障を来すので(櫛の歯を入れてきれいに結ぶなんて当然できないから結わえ方はまぁ…)伸びすぎたら5センチ切ると話し合って納得してもらって年に一度私が切るようにしている。その後数か月に渡って髪は女の命ですという言葉が呪文のように散りばめられた手紙が届くのは慣れたから気にしない。
一度、通所施設の職員が私や当時のGHサービス管理責任者(以下サビ管)に断りもなくに姉を美容院に連れて行って、肩のあたりまで髪を切られてしまったことがあった。「嫌だったけれど…」と姉は後で言った。世話をしてもらっている(そういう自覚はある。見捨てられたらどうしよう、という生きものとしての思いね)職員が強く言うものだから断り切れずに、多分、少しだけ切るとか、可愛くなるとかきれいになるとか言われて少し心も動かされたりしてついて行ったのだろう。
結果背中まで長かった髪は肩までになり、姉は、髪を切ったことを思い出して急に怒り出したり泣き出したりと、精神状態が不安定になった。
当時暮らしていたGHのサビ管さんも「勝手に連れて行くなんてねぇ」とため息混じりに話してはいたが、それで改善を願い出るなんてことはしない。
姉は障害者、しかも一級さんでそのうえ高齢者なのだ。
行き場を失ったらどうなるか、サビ管さんも、そしてフルタイム有給なしの仕事を辞めることができない妹の私も、よ~くわかっていた。とにかく、しばらくの間(髪が伸びるまで)程度の差はあれ、みんなが大変だった。もちろん、姉も辛かったろう。
他の地域はわからないが、この辺りの障害者の施設は、どこも同じような対応らしく、障害特性について理解している人、というか、障害者の多岐に渡り重複もする障害特性について学んでいる人はほぼいないようだ。つまり、どのような支援を必要としているのかというニーズを理解しないどころか、ニーズがあることすら考えないあるいは気づかない人もいる。
そして、スタッフのほとんどはパートさんで、辞めて入ってまた辞めて、と、めまぐるしい。このあたりの事情は、障害特性で記憶力が高い姉がその人たちの名前から年齢、知る限りの来歴まで、個人情報を逐一手紙で知らせて来るのでよくわかる。
もっとも、最低賃金の時給で働きに来る人たちなのだから、いろいろと納得もしてしまう。
そして、姉はそういった人たちの世話を受けて社会の隅っこで、健康で文化的な最低限度の生活を辛うじて営み、妹の私は多少なりとも社会に貢献するための仕事を続けざるを得ない立場から逃れられず、姉をそういった施設に委ねるという選択ができるというわけだ。
考えても考えても納得できる解決方法なんて見つからないし、考える時間も残り少ない年齢になっている。
仕事は今日も明日もその先も続く。
髪バッサリ事件のあとは、とりあえず何か必要があれば必ず私に連絡をくれるようにとは伝えた。
私は障害一級姉のたったひとりの妹で、姉に関する全ての保証人でもあるのだからそんなこと当たり前のことなのだけれど、当たり前が通用しない社会はどこにでも転がっている。
チョコパフェをたらふく食べてうたたねしている姉は、甘くて柔らかい菓子パンと甘い飲み物が大好きで、昨日、GHから「隠して食べているし、他の利用者にあげたりしているので注意して欲しい」という連絡がメッセージで届いてもいて、週に一度でも仕事が終わってからの時間に会いに行ければ掃除も兼ねて様子を見ることができるのだが、とダメもとで返信してみたら、門限が5時だからそれ以降は中に入ってもらうことはできないし、面会が来ない他の利用者もいるのでダメと予想通りの返信をもらった。
そして今日迎えに行った際に、「通所施設とGH両方に移動販売車が来て菓子パンとジュースを買い込んでいるんですよ」とGH施設長のご子息から言われて、通所施設に移動販売車が来るのは知っていたけれど、GHにも来ることを初めて知った。
とりあえず、忙しいでしょうがそこは介入して、移動販売車が来た際は、パンは1個だけにしようと声をかけてくださいとお願いをして、上がってもいいですか。少し片付けしたいので。と言ったら土曜の午前中だったからか、了解をもらうことができたので、大急ぎで姉のベッドを整え、生乾きのままクローゼットに突っ込まれた衣服を室内に干し直し、一緒に入っていた汚れ物を洗濯かごに突っ込み、床を掃き、姉が集めたチラシ類をいるものいらないものに姉の了承を確認しながら一緒に分類し、ゴミをまとめ、郵便や写真を引き出しにしまい、壊れた鏡を見つけたのと、多分倒して結構したたかに割れたのを誰かが接着剤でくっつけてくれたらしい(GHから報告はなにもなし)扇風機を取り換えるべく持ち帰った。
菓子パン買い込み問題は、どちらにも週一来る移動販売車から1個ずつ菓子パンを買えば合わせて週2個だから、そのくらいの間食なら許容範囲だろう。食べることは最高の娯楽。喜びだもの。
それにしても、人に食べ物をあげるというコミュニケーション能力が育ったのだということには感心もした。
しかしながら、現在姉が生活する障害者のGHというものは、部屋の行き来は同性でも禁止、個室に冷蔵庫は置けず(前のGHは個室に冷蔵庫OKだったが、いろいろあって1年前に今のGHに引っ越した。この辺りの経緯はまた書きたい)共同で使う小さい冷蔵庫があって唯一顔を合わせる食堂は夕食後施錠され、水中毒なる利用者が1名いるということで、風呂以外水の出る場所がない(手も洗えない)という、きわめて特殊な、でも一応は人間の生活の場所ということになっている。
そして、そこに姉を置くことについて、今は仕方ない。と、何とかしないと。の間で眉間にしわを寄せて、どうにもできなくて動けなくなっているのが、ここ数年の私。
思えば、幼いころから姉が近所で笑われたり後ろ指さされていた(子どもたちだけではなくその親たちからも)ことは感じていたし、小学校に入ってからは、あからさまに姉のことでからかわれたり悪口を言われたりした。泣きながら反論してみたところで、誰かを見下して嘲笑いたい人間には、私の思いも言葉も響かない。
姉のことでいじめられたことは一度も親には話さなかった。自閉症の姉を持った妹は小学校低学年ですでに、親に話せないこと、話してもどうしようもないことを抱えて心がずしんと重くなっていくことを知っていたんだよ。
姉を大好きだと思ったことはないけれど、たったひとりのきょうだいで、父も母も亡くなった今は二人だけの父と母の子どもだ。
大好きじゃないけれど、大嫌いにはなれないし、めんどくさいと思うけれど、大事な家族だと認識している。
そしていつも心配だし、姉を思うと私のどこかが淋しいし痛い。
これも愛なのだと思う。
私は間違いなく姉を家族として愛しているのだろう。
そして、姉は私を愛してはいないが、自分にとって生活上とても必要な人間だとは認識している。
ほんとの淋しさを経験したことのない人間は誰かの淋しさに気づくことができない。人と関わる中で、私の思いとかすりもしない人に出会ったとき、まだ淋しさを知らない人なんだなと思う。
そして、その人がいい歳をした大人だったら「きっと一生淋しさを知ることがないし人の淋しさに思いを馳せて気をもんだりもしない幸せな人」というカテゴリに入れて、必要な用心をして笑顔で接することにしている。
最近増えたね、そういうシチュエーション。
そんで、慣れたよ。そういう人に対応すること。
はじめはね、自分がきっと変なんだって思ってた。
自分がふつうじゃなくて、みんながふつう。
ふつうの人がふつうに生活する社会で、ふつうの人たちが気にも留めない事でいちいち躓く私は変なのだろうって。
小学校の教室で、窓を伝って乱暴に落ちて行く無数の雨を眺めながら死にたいほど憂鬱な気持ちを経験していた小学3年生だった私が、「生きるって、辛さを塗り替える経験をし続けることなんだ…」って腑に落ちて気づいたのはオトナってものになってから。
今となっては、本と映画と環境と経験、そして時間が、見た目も十分すぎる大人にしてくれたよ(笑)
生まれた時から淋しさを知っている人間は一定数いるんだと思う。
幼稚園に入園して初めての父親参観日、粘土で次々と動物を作り出す父を見て他のお父さんたちが感嘆の声を上げる風景の中で、小さい女の子だった私に向けられた父の笑顔は輝いていて、小さな私は父が大好きで嬉しくて誇らしかったのに、記憶の中の俯瞰した映像で見えてしまうのは、淋しさを内包した少し不安げな女の子がそこにいたこと。
あたりまえだけど、多問題家族となった家庭に生まれても最初は問題に気づかない。でもね、感じてはいると思う。肌感で。気配で。
小さいかすり傷は多少痛いし気になるけれど、数が増えすぎて傷だってことも忘れて違和感のある自分の模様だってくらいに思ってしまうのが、ふつうなのかふつうじゃないのか、いいのか悪いのかもわからない。
模様はイコール今の私だから、もとがどうだったかは、数十年ぶりに会う昔の知り合いとかなら比較できるのかなと思う。
今はね、淋しさに恐れに責任に不安に老いも加わって、複雑怪奇な模様になってると思うよ。私。
それでもね、私は姉が食べたい冷やし中華やパフェを作って、姉のお腹を満たしてうたたねさせるくらいの力はあるんだよ。
それが、何なのさって自分でも思うけれど、姉が淋しいと多分私も淋しいし、姉が楽しいなら、多分私も心穏やかになれる。
それは間違いなく、家族だから。
ばいばい、またね。
うん、またね。
今度いつ会える。
うんそうだね。連絡するね。
GHの門限前に送り届けて、多分淋しいのは私で、姉は今日の出来事を綴るべく、夕食後はパソコンに向かうのだろうな。
それでいいし、それはいずれ変えなくちゃとわかってもいる。
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