驚くようなスピード感に(うちの介護なお話17)
しばらく空いてしまったのですが、今年の1月中旬に母が再度緊急入院しました。
今回も敗血症で前よりも重症ということで出社してすぐ病院に行くことになりバタバタと12月からお世話になっている職場の上司に許可をもらって退社して病院に駆けつけたもののなかなか母に会えず書類書いたり話聞いたりしてお昼を超えていきました。(この時点でひもじい)
病院に行くと必ず水分取れなくなるというか自販機が見つからない救急搬送の待合で待たされるので、最近は学習して辿り着く前に購入することにしていました。乾きにはなんとか対応できたもののまさかのランチタイムを遥かに超えて待たされるとは想定外。パンかおにぎり買っておけばよかった・・・。
手続きも終わって先生からお話を聞いたところ前回のときよりもだいぶ重症とのことでした。本人にも会えたけど意思の疎通はできるけど、言葉を交わすというよりは、こっちの問いかけにうなづく程度でかなり辛い感じでした。
しばらくはHCUと見るというので毎日の経過は電話でもらう事になって病院を後にしました。
家に帰る道すがら電車の中でメールを書いて、ひとまず入院になったことと症状を弟に伝えておきました。
状況的にはすぐひどくなるという感じでないというので投薬でしばらく様子を見ていましたが、なかなかうまく回復方向に向かわないということで木曜の晩に病院から管を入れて胃から栄養を摂取できるようにしたいという連絡が来たので回復に向かうのであればということでOKして電話を切りました。
金曜の晩、虫の知らせ云々というよりも週末の夜ふかしを堪能していて、さて寝るかと思った頃、スマホが鳴った。見れば、母の入院先。
素早く出たら、あ、起きてましたかと安堵されてしまった。
これから来れますか、どのくらいかかりますか?と聞かれたので、そんなに悪い状態なのでしょうか?と訪ねたら、かなり危ない状態です。というので
朝までもたない感じですと言われてしまった。
これからタクシー捕まえて向かったとしても1時間以上かかると思いますと伝えたら、持たないかもしれませんと返事が帰ってきた。
このトーンはガチで間に合わないパターンだなと思って、サクサク支度して危篤なので行ってくると家族に伝えて病院に向かいました。
なんとかついたけど入口がわからん!
警備のおじさんはどこなのー!と寒い深夜入口前でウロウロ。
なんとか見つけて中に入って病棟に向かったところやはりの間に合わなかった。
そんな気はしていたのでそこまでショックは受けなかったけど、まだ温かさが残っていた。
念願かなって父が迎えに来たかな。
「おつかれさまでした」とひと声かけた。ちょっとうるっとして、振り返ったら看護師さんたちのほうが号泣していて私もほうが申し訳なくなってしまった。実の娘ですがそこまで泣けません。
いろいろ整えて霊安室に移動したり、書類作ったりするそうなのでしばらく待合室で待つことになったので、名古屋にいる弟に電話、鳴らしても鳴らしても出ないというか数回コールすると切れてしまう。
これは「睡眠モード」になっているなと思ってリダイヤルを隙間にかけながら葬儀屋さんの手配先を探していたがなかなかめぼしいところが見つからず困ってしまった。これは前もって当たりをつけておかないといけない事案だったのねと反省。
書類にいくつか記入して水分取りつつトイレ行ったりしつつ葬儀屋さん探し。
一応、弟にメールを打っておく。きっと気が付かないよなと思いつつも念のためやっておく。
夜が明ける頃に霊安室に移動することになって私もついていくことになったので先生や看護師さんたちにご挨拶して病院が手配した葬儀屋の方と地下に移動しました。
それにしても寝ていないので頭がいまいち回らん。
霊安室に移動して安置してくれた葬儀屋の方が営業をかけてきたのでプランなどを細かく聞くことにした。
ほどほどにかかるが1日葬ならなんとか行けそうな気配が出て来たのと私の家の近所で葬儀が挙げられそうなのでもはやこの葬儀屋さんでよいのではと思い至り、弟の連絡待ちになった。
うとうとしつつ祭壇のレイアウトや金額確認などしつつ、起きてこない弟にガンガンメールを送っておく。
この時点で朝7時ぐらい。
8時近くになってやっと連絡がきて午後3時ぐらいに病院に弟が来ることになったのでその後、葬儀に必要なものを決めていこうということになり、一旦帰宅してご飯食べて仮眠をお昼ぐらいまで取って病院に来ることになりました。
土曜の午前中が終了。(続く)