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キュウリ考@盛岡キチキチファームステイ

イキりボランティア

 夏休みの数週間、ある農家に世話になった。ボランティア兼バイトという名目で、3食寝床付きの有償手伝いをすることになっていた。俺は今まで、ことあるごとに都市的なものを批判し続けてきた。しかしながら自分自身が都市(というには名ばかりの埼玉のはずれ)出身で都市に住んでいる。これではまるで説得力がない。なので「俺は農業やったことあるけど、お前は?」というマンティングをとるためにせっせと土いじりをすることに決めたのだった。出かける前日、ドンキホーテに行き、なぜか自腹だったレインコートや長靴などを仕入れる。自分で決めておきながら意味のわからない状況に、高揚感のかけらもなかった。

 出発。汚れてもいいようなゲボダサファッションで、颯爽と東京駅に降り立った。その格好のままうろちょろするのも恥ずかしいので、あえて田舎者を装いながら駅弁を購入。この時が一番テンション高かった。指定席の隣にはスーツ姿のインド人が英語かどうかもわからない言語でビッグなビジネスを行なっている。かたや俺は垢入りした服装で土をいじりに行くわけですわ。円が安くなったことを実感しかけて、いや俺が勝手に農業やりにいくだけだから、これは当たり屋的発想だと自分の妄想にキレ返した。ちなみに交通費は自腹だ。人に大きめの借金をを負っている人間がすることではない。

 盛岡駅着。まじで涼しい。でもこの時期にしてはかなり暑い方らしい。「ついにうちの畑でもスイカがとれるようになった」くらい暑くなっているらしい。そんなに地球温暖化で気候やら気温がチャカチャカ変わるなら、クソほど嫌いだった地理教師サ○オカの話を、努めて聞かないようにしていて本当に良かったと実感。

メンバー構成

 そんなこんなでステイ先の人たちとご対面。会って早々「うちはかなり汚いから潔癖症は居られない」「昨日うちに子供が産まれました」「近所とバトっている」とスピード感のあるジャブをくり出してくる。ご馳走になった喫茶店に着いても「ここの料理はカツカレー以外まずい」「店主はイカれている」などと、たしかにイカれていた店主を、聞こえるか聞こえないかギリギリの音量で煽り倒す。90超えて腰にボトルが入っている人間がすることではない。

 家族構成はほんとによくわからない。このボトルが入ったお母さんと離婚したらしいが、同居しているお父さん。方言と入れ歯で何言ってるかわからない。アイルランドで培った「相手が何言ってるかわからなくても反応する能力」を日本国内で発揮した。それと、その娘らしいが自分の母を下の名前で呼んでいるバツ2のお姉さん。そしてそれぞれ苗字が違う(?)3人娘。Aは気合の入ったギャル。Bは無口。Cは学校サボって遊びにくるJK。お姉さんとその3人娘はそれぞれなぜか別の場所で暮らしていて、農園にはノリでくる。ちょっとよくわからないが、サマーウォーズみたいなもんだととりあえず納得しておいた。そして白い変な犬と新参者のBのベイビー。こいつらは喋らないから大好きだ。こんな調子の家庭だったので、はじめは「履歴書のままでいく」と気合いを入れていた自分も、2日目にはリビングのソファから上半身を投げ出してくつろいでいた。

 これに加えて、手伝いに来ているバイトが3人いた。おとなしい元派遣のヤバい女N、関西弁を喋るうざい農学部の女M、足の速い女H。こうして羅列していると若い女ばかりでハーレムのようだが、俺はずっとこいつらにブチギレていた。Nは自我がないので話をしても全部合わせてくるだけで中身がない。そのくせ趣味の話になった途端に超絶早口になり会話が成り立たない元ゴスロリの美術部だ。とにかくきゅうりを取るのが遅い。Mは水木しげるの描くキャラクターみたいな顔をした天才キャラぶりの空振り女で、どんなトピックでも自分のものにする。何を言っても自慢話と研究の話と酒イキリの話になるため、会話がなりたたないイモ女だ。とにかくきゅうりを取るのが遅い。Hは足が速いためきゅうりを取るのも速い。が、ある日彼女が収穫作業をした場所を見たら、不自然に蹂躙されたきゅうりが散見されたので、おそらくサイコパスだ。このへんから段々怖くなってくる。頼りだったワンちゃんもなんか変だった。俺のマウスピースを巧みに探し出して奪い、奥歯の部分だけ破壊していた。だから俺のマウスピースは今、前歯しか矯正できていない。その後歯ブラシを2本も奪われ、律儀に居間のテーブルに鎮座されていた。俺の部屋に来てションベンマーキングするくらい懐いてる割に、撫でようとするとスゴスゴとした態度で尻尾を丸めてビビり散らしていた。そのくせ夜になると急にテンションがぶち上がり、寝ている俺をフロアーにディスコを踊り、眠りを妨げた。その感情の高低差にドン引きして「ワンちゃん」から「白い変な犬」と呼ぶに至った。ここまでくると彷彿される作品が『サマー・ウォーズ』ではなく『ヒッチハイク』になっていた。

 この家は隣人トラブルを抱えていて、近所付き合いが良くないらしい(聞いた感じだと隣人の方が悪い)。他に農業を手伝いに来ていた近所の人とも仲が悪いらしく「あの一族は〜」と小言を言っていた。産まれて初めてこんな日本語を聞いたので忘れない。田舎あるあるなのだろうか?俺もいつか使ってみたい。こんなヤバい家みたいな書き方をしていたらネガティブなイメージばかり持つかもしれないが、俺はすこぶる馴染んでしまった。気に入った人には優しいし、嫌いな人にはそういった態度を取る。意味のある嘘はつかないし、全てが等身大で、遠慮するのに遠慮する。そういう部分が実に人間的で、心地よかった。だから関西から来たウザ女Mも馴染んでいたし、反面東京生まれ東京育ちのNとHは馴染めていなかった。

 そんな家庭では、俺が抱えていた家庭問題の話はバカウケした(戦犯家系のイカれ爺さんと家出したおじさん、マンガみたいな父とヒステリックマザー、ほぼニートブラザーと国外逃亡ネキ等々)。ついでに抱えていた隣人トラブルや破綻した人間関係の話にも大いに花が咲き、俺はフルスピードでこのファームステイに順応していった。


-隣人トラブルについては、また別の機会に。
 

家族とは・・・。

 ところで「家族」ってなんだろう?仲が悪かったり、良かったり、悪すぎて殺し合いに発展したり、逆に違法に結婚したり。平泉に栄華を築いたのは奥州藤原氏の祖・藤原清衡だ。彼は家族同士で争いすぎて安倍氏→清原氏→藤原氏と自らの姓を二度変えた。こんなめんどくさい「家族」という共同体が今でもこれほど強烈に残っているのは一体なぜなのかわからない。でも農業をしていたら、その歴史の片鱗が見えてくる。

 日本はサムライの国とか豪族が治めていたとか言われていても、結局人間。食事ができなければ皆シカバネだ。歴史の立役者以外はほぼほぼ農家であっただろうし、農業から日本精神とか文化・生活を考えてみてもいいはずだ。やってみると、農業ホントつらい。たかがきゅうりの収穫と思う勿れ。あれは本当に終わりが見えない大変な作業だった。とってもとっても生えてきて、手入れはいるし、限られた時間で高速で終わらせなければならない。俺たちからすれば田舎のスローライフでおじいちゃんおばあちゃんが二人でゆっくりやっているイメージだが、そんなんじゃ飢え死にして畑も終わる。じゃあどうすればいいか?手っ取り早いのが家族だ。呼べば無報酬で来て手伝ってくれるし、堅苦しい挨拶や説明もいらない。みんなで頑張ってみんなで生きていこう。そういう共同体が農家には絶対に必要なものなんだと思った。これは日本の律令国家時代から延々と続いている。

(略)住居の散在、集合の時期、および政治的、歴史的出来事とを整理すると、これをいくつかの時代に区分することができる。まず、住居が強制的に集合させられた例を見出すことができる。「条理制」は十世紀まで朝廷が管理していた田に適用されたもので、道や水路によって耕地が整然とした碁盤目状に区分された。各村は一町 (一一九アール)ごとの区画で等間隔にまとまらねばならなかった。関西地方 中国地方九州地方、それから北の方では、北陸地方(石川)、そして東北地方でさえ(福島の周辺)、この痕跡をいまも見ることができ る。

ジャック・プズー=マサビュオー「家屋(いえ)と日本文化」


 それがだんだん薄れてきている現在、家族以外の労働力を雇おうにも報酬に見合わない職種に人は集まらない。だから技能実習とかいって外国の廉価な労働力を確保しようというのだが、これは現代の奴隷制とか言われて批判されている。(個人的には、現場の努力も知らないで補助もせず国内農業を廃れさせながら飯を食ってるホワイトカラーのエリートの方が誰かを奴隷にしていると感じる。)アメリカ最大の紛争である南北戦争も奴隷制を巡るものという見方が強いが、よく覗いてみると北の工業エリート対南の農業という構図が見えてくる。そのくらい農業にとって労働力というものは喫緊の問題であるということだ。

 断っておくが、俺は奴隷制を容認しているわけでも、低賃金労働や家族の搾取を推奨しているわけでもない。あくまで当事者の気持ちを考えているだけだ。こういうとき、想像力が大切だ。便利な場所、家族や人が集まる必要のない土地に生まれ育てば、そんなプライバシーがなくなるようなものに耐えられない。そういう考えで、都市部のホワイトカラーはエリートとして国全体のことを決定していくわけだが、これも良くない。地方なんてみたことないし乏しい想像力で憶測を語るだけだと、現実との乖離が起こる。自分たちの都市での常識だったり、グローバルなポリティカル・コレクトネスによる決定で身近な周辺を蔑ろにする。これがこの国の食糧問題の根本原因であると思う。

 その意味で、俺は留学というものに少なからず拒否反応がある。留学できるほどの金持ちはたいてい都市部の裕福な家に生まれているし、別の階層の人間と関わっていない。そのくせ異国で会う人間も大抵が金持ちのボンボンばかりで、結局言語が違うだけの、同じ人間とだけ関わる「ヨコの交流」で終わる。そういう奴らがエリートとして、自分達はクリーンな善人のまま世襲的な権力を使って”国際的な”正しさを実現しようとする。そしてこういう人間に限って自国の「タテの交流」をしていない。さらに言えば国際人として生きようとするから日本の歴史も知らなければ文化にもとらわれず日本人として生きている自覚が薄い。地元愛のない人間が地元の政治を任せられるはずがないのに、なまじっかエリートであるから選挙制以外のところで権力を発揮し、その地元を変えようとする。

 長々と書いたがインターナショナルな人間は無自覚な害悪であると、俺は声を大にして言いたい。これは世界同時多発的な悪癖で、そういったものがアメリカで本としてまとめられている。『新しい階級闘争:大都市エリートから民主主義を守る』では、そういうったエリートによる一方的な独裁に対する反発としてジョンソンやトランプなどのポピュリズムが説明されている。

 とにかく、だからこそ農業大国日本では古くから家族というものが重んじられていたわけだ。家族制度は前時代的なものとして批判され、瀕死の状態であるが、その前時代的される家族を必要としている農業従事者ひいては一次産業に支えられて今の生活がある。まだまだ言い足りないことばかりだが、とにかく想像力が大事だ。日本を変えたいならば、日本人として、日本を知る。これが何よりも大切なことだ。

局地的水難

 そして、肝心な農業のことは、なんも話すことはない。朝5時に起きて、6時に開始。いい形のきゅうりをとって、並べる。とり終わったらそれを梱包して輸送して11時くらいにおわり。適当に暇を潰して15時から同じことをする。終わり。想像していた100倍のハイスピードハードライフで、たぶん時給500円くらい。技能実習生の気持ちがわかった。

「ぼくのなつやすみ」のような光景

 作業のない時はネットが届かずとにかく暇なので、永久に川遊びをしていた。家から歩いて5分の距離に大腸菌まみれの小川があった。そこで俺は、考えうる限りの暇つぶしをして休憩の数時間を過ごしていた。岩を転がして小さな生命体を探したり、水にドボンしたり、岩筋トレに飽きて水中無酸素筋トレ、大腸菌を増やす実験やミツバチいじめに藻剥がしタイムアタック、etc…。中でも一番コスパがよかったのは日光浴だった。照りつける日差しの正面に大の字で寝転び、限界まで熱くなってから川にダイブする。自然だから無料の日光サウナだ。これにハマってからは何かにつけて日差しを浴びに行った。あるとき「チ○ビが日焼けするとありえんドス黒くなる」という脅しを聞く。それ以来チ○ビ周辺にだけ日焼け止めクリームを塗るようにしてから日光サウナをするようにした。するとその部分だけが真っ白のまま、野球部みたいに全身がコンガリと日焼けしてしまった。身体がパンダの日焼けアートみたいになって、鏡を見るたびにかなり落ち込んでいた。正直ドンキホーテの日焼け止めを舐めていた。皆も日焼け止めはドンキホーテで買おう。

 奴隷解放の休日には、車を借りて山奥の秘湯に行ってきた。そこには特大のアブがたかっていて、しかも超高温だった。最悪なことに、そのとき俺は一番大事な部分を謎虫に刺された。「ヒャウッ」という変な声を出しながら秘湯でその部位を清め、他の客に嫌な目でみられた。意図せずに、局部ばかりが被害に遭っている。さらに嫌なことに、高温の湯に耐えきれず俺はすぐに隣の川に浸かりに行った。温泉に来たやつが、温泉につかるよりも、川で遊んでるのをみて、さぞ嫌な思いをしただろう。そうして10分足らずで温泉を出て、することもなくなってしまった。盛岡を堪能するでもなく俺は近くの川に再び遊びに行った。結局いつもの休憩時間と変わらずに、ちょっと豪華な日光浴をして1日が終わる。残ったのは検索履歴「アブ ○玉」だけで、温泉に入った意味も川に流れてなくなり、結局また家のボロシャワーを浴びたのだった。

 農業が終わった後、秋田に住む先輩の家に遊びにいったが、そこでもすることがなかった。仕方なく山奥にあるボロいプールに遊びに行った。数人の老人が水中リハビリをしている激しょぼプールで、俺たちは永久に平泳ぎをしていた。途中で若い女の子たちがきて、それをチラチラ横目に見ながら俺たちは「ハッハフッブホッ」と苦しみの鼻水を流しながら永久に平泳ぎをしていた。翌日もすることがなかったので、結局名前もないような川で遊ぶしかなかった。でっかい石を見つけて肉やら魚を置き、バーナーで炙ってうまいうまいと言って終わり。夜行バスでさっさと東京に帰った。東北旅行は1日あれば足りるという学びである。

新概念・河原石焼カンパチ

きゅうり考

 まあそんな暇なもんだから、きゅうりからも学びを得ようとした。

・教育をかじってる人間だと、なんだかきゅうりと人間も似てるなーと感じる。きゅうりもまっすぐで大きすぎずに形のいいものが良い商品となる。だから「もぎりっこ」といって、形の悪いものやでかすぎたりするものは育つ前からわかるので間引く。無駄に栄養を使わせるより、良いものをより良いものにして収穫する。ははあ。

・何かを育てる側のことってあんまり考えないけど、この時少し考えた。それまでは野放しの有象無象なきゅうりをヒイヒイ言いながら苦労してとっていた。一度だけビニールハウスのきゅうりをとりにいったとき、そこには均一で美しく取りやすいきゅうりがスラッと佇んでいた。なんて楽なんだろう。金をかけて懇切丁寧に育ててるから、ゴッツリとした無骨感とかはないが、均一で上質なものが取れる。俺は公立育ちで私立出のやつをずっと「温室育ち(笑)」とことごとくバカにしてきたが、育てる側からするとそのほうがまじで楽だ。と思いかけていたが激ウザの女Mが案の定中学受験の温室育ちだったのでやっぱカスだと思った。

・枯れた草は枯れきる前に刈り、土に戻し養分にする。老いたらすぐに刈り取り、残すもの残して若いものの養分にする。マッカーサーの「老兵は死なず」ではなく、さっさと死んでカイジの「誰かの養分」だ。ははあ。ちなみに、俺がマッカーサーの真似をしてグラサンに斜め咥えたばこしても伝わらなかった。マッカーサーってもうそんな有名じゃない?

ダグラス・マッカーサー

・農業やってると、そういう死に際を考える。だから農業大国フランスの「メメントモリ(死を忘れるな)」って農業的価値観なのかもしれないと思った。よく知らんけど。それを考えた時、ちょうどバンプの『カルマ』を流していた。深すぎる。

存在が続く限り 仕方無いから場所を取る
ひとつ分の陽だまりに ふたつはちょっと入れない
ガラス玉ひとつ 落とされた 落ちた時 何か弾き出した
奪い取った場所で 光を浴びた

BUMP OF CHICKEN「カルマ」

東北という土地

 一生分くらい触ったきゅうりを見て、日本列島みたいだなーとか考える。そしてその土地の果て、東北を思う。日本の国定教科書で学んでいると「中央史観」みたいなものを持っていて、東北はいつでも田舎のなんもない土地で、ポっと出の蛮族が出るみたいなイメージがある。実際東北は陸奥で「みちのおく」だし、東北の人は「江戸っ子」や「蝦夷っ子」「薩摩隼人」みたいな自分達のルーツを口にしない。何があるのか聞いても「なんもない」と返される。いや、たしかになんもないんだけど笑。何かあるはずだし、何かは確実に”あった”はずだ。「我々の先祖は○○で〜」みたいなことが普通ならある。史跡みたいなものを巡ってみたがだいたい跡地で、明治以降のものが目立つ。徳丹城なんかは跡形もない。

徳丹城跡地 言われなきゃ謎岩だ。

 しかも明治といえば東北諸藩が罰せられいわゆる朝敵として扱われた時代のものだ。だからこそ

『「白河以北一山百文」という言葉がある。(中略)この蔑称に抵抗する意味を込めて、宮城県仙台では『河北新報』が創刊され、旧盛岡藩出身で平民宰相といわれた原敬は「一山」と号したという。』

(河西英通『続 東北』中央公論新社, 2007)

 この原敬という男、知れば知るほどアツい政治家なので是非知って欲しい。優秀で公正で東北の誇りをと日本を背負い、大いに人気があったのだ。生涯平民として過ごし、遺書には官位などいらずただ名前のみ書けと、その平素さを貫いた。そこには朝敵として扱われた東北人としての意地もあっただろう。政党大っ嫌いで原とは正反対のカタブツ・山縣有朋でさえ、原敬の暗殺に衝撃を受けて寝込んだ。そしてその実行犯に叱咤したという逸話さえある。

『11月4日、原敬暗殺事件が発生した。山縣も、「政友会の俗論党及び泥棒めらに殺されたのだ」「頗る残念だ」と、原の死に涙を流している。また山縣は11月3日から熱を出しており、次第に衰弱していった。(中略)
山縣は一時的には回復したものの、その後病状は悪化し大正11年(1922年)2月1日13時30分、肺炎と気管支拡大症のため小田原の別邸・古稀庵において薨去した。享年85(満83歳没)。山県は薨去に伴い、従一位を贈られた。
同年2月9日に日比谷公園で山縣の国葬が営まれたが、当日は雨であり1か月前に病没した大隈の「国民葬」には、多数の民衆が集まったのと比較すると閑散としたものだったといわれる。』

wikipedia

 このことを思えば、大谷翔平が生まれた理由もわかる。

『高校野球史で優勝旗が「白河の関」を越えたことがないと聞くたびにこの逸話が頭に浮かび、早く「白河越え」をと願ってきた。』

毎日新聞 余録「岩手出身の平民宰相、原敬は…」

 第104回大会にしてようやく仙台育英が優勝を果たす。こうした背景があって東北では野球熱が盛んで、甲子園に行った球児たちを街をあげて出迎えるのかも知れない。それが大谷を生み、日本をすっとんで世界を獲ってしまった。東北だけじゃないかもしれないが、テレビをつければいつでも大谷の話でもちきりだ。


 この温泉ペンギン氏の一連のツリーによる『もののけ姫』解説から、蝦夷に関心を持っていたが、東北の人が蝦夷がどうという話をすることはほとんどない。それは東北に滞在して、東北の本を読んで合点がいった。古代から東北は中央と戦い、恐れられ、敗北し、その度に中央に蹂躙されてきた。だから東北視点の歴史や史跡、ルーツみたいな誇りがない。蝦夷のリーダー阿弖流為、豪族の安倍貞任と娘婿の藤原経清、東北に理想郷を作った奥州藤原氏、新しい蝦夷の九戸政実、大羽越列藩同盟・・・。日本人の「忘れていく民族」だけでは説明しきれないのは、「歴史は勝者によって作られる」からで、それを最も表したものがこの地・東北なのだ。詳しくはこの本がおすすめなので読んでみてほしい。




・・・とまあお勉強はおいておく。なにより、着ていた服がダメになった。3日に一回は洗濯していたはずの服も、先輩の車に乗った途端クセえと言われた。全く気づかなかった。持って帰ろうとした長靴もどうにもならないほど臭かったので、ホテルのゴミ箱に置いといた。回収する人、本当にごめん。結局予約していた良さげの寿司屋に恥ずかしくて入れないから、セカストで服を買ってその場で着替えるしかなかった。田舎くさいって物理だったんだな。


さて、俺は農業やったことあるけど、お前は?


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