14歳でドイツ人学校に放り込む その5
前回の最後の文章は、「14歳からドイツ語の予備知識無しで、いきなりドイツの総合学校に突っ込まれた子供は、留年をせずに、ギムナジウムに転入できることになった。」であった。
お世話になっていた家庭教師は、子供の語学力向上と共に、政治的発言(人種差別を含む)が鼻についてきて、総合学校から出るときを機会に、止めることにした。
さて、ドイツの教育制度は、複雑である。
日本の文部科学省のHPで公表しているドイツの学校系統図を借りて、張り付けておく。
ドイツでは、Abitur(大学入学資格試験)を受けるまで、通算で12年あるいは13年教育課程があり、州によって異なる。
わたしたちが滞在していた州には、両方の教育課程をとるギムナジウムが混在していた。
子供が推薦を受けて転入を許されたギムナジウムは、13年教育課程システムをとる学校だった。
10年生を終了した子供は、通算11年生(ギムナジウム単独計算では7年生)に編入され、Abiturまで3年間あるわけで、留年しなければ、通算13年生(ギムナジウム単独計算では9年生)で卒業予定である。
デジタル教材を利用する・ドイツ語以外に更に2つの外国語の学習がAbiturの必須条件・Abiturには科目の戦略的選択が必須
元々ある、ドイツ人に比べるとドイツ語能力不足している問題に加えて、ギムナジウムに転入したことで、新たに持ち上がった問題が幾つもあった。
問題1 総合学校に比べて、当たり前だが、ギムナジウムでは全ての全科目のレベルが格段に上がる。授業参加態度が日本の高校とは比べものににならない程、学期成績評価の対象(心象では、半分が授業参加態度、半分がペーパーテスト)である。
問題2 Abiturを受けるためには、ドイツ語(国語)と異なる外国語を2つ学習しなければならない。
問題3 Abiturを受けるためには、重点学科を2つ選択しなければならないが、ドイツ語能力が不足していると、選択肢が極端に狭まり、圧倒的に不利だ。
親だって(ドイツの大学で学位とったんだけどね)、溜息しか出ない。
本人にしてみたら、どんだけ大問題に次ぐ大問題にに立ち向かわなくてはならないんだという心境だろう。
子供が編入したギムナジウムでは、人数的にはドイツ人が過半数を割り、外国出身子弟の方が数は上回り、また色々な学校からの編入生もいて、同じ立場の生徒もいたので、居心地自体にはあまり問題はなさそうだった。
若者言葉やスラングもどんどん吸収し、汚い言葉も、自身は使わなくても、意味を解するようになっていった。
職場では読むのは英語の文献、書くのは全て英語の報告書である親よりも、素早くドイツ語が読めるようになり、ドイツ語を書くことも親より上手な印象だった。
街中に一緒に出ると、俗語の聞き取りは子供の方がうまかった(職場ではドイツ語会話が殆どだが、若者言葉や罵り言葉は使わないんでね)。
さて、親が関わることが少なくなり、自ら解決法を見出さなくてはならなくなった子供が、上記の問題に、もがきながらどのように対処していたのかを、傍らから、ハラハラただ見ていた立場から述べてみよう。
問題1 総合学校に比べて、ギムナジウムでは全ての全科目のレベルが格段に上がる。授業参加態度が日本の高校とは比べものににならない程、学業成績評価の対象である。
これは、もう日々の努力を重ねて、どもかく授業内容にかじりついていくことを務める以外ない。
日本では、留年・転校させることは、高校までは余程の事情がない限り、あり得ないが、ドイツでは全く普通のことだ。
毎年進級できるかを賭けているのだから、子供は慢性的に寝不足だし、よく試験前に徹夜して、目を真っ赤にしてペーパーテスト日に登校していた。
終わると、ベッドに直行、爆睡。
ひとつ、子供自ら見つけた、素晴らしい補助教材があった。
YOUTUBEである。
ドイツにも沢山のYoutuberがいて、各教科各単元ごとに番組をやっている。
教育系Youtuberは、視聴数を稼ぐために、良質な内容・役に立つ番組を提供しようと競争している。
Youtubeは、自分のレベルに合うものを、タダで、何度も繰り返し視聴出来て、しかも喋りの速度を調節できる。
若い人は色々なものを倍速で視聴するらしいが、子供は逆で、喋りの速度を落としながら、繰り返し見ることで理解を深めていた。
授業参加は、きつかっただろう。
自分の意見を論理的に展開し、文法的にも正しく述べることが重要視されているのだ。
日本人感覚から見ると、自己主張が激しいドイツ人社会で生き延びていくには、必須な能力だが、ドイツ語が怪しい日本人の子供にはきつい。
常に自分の性格との闘いを強いられていたと思う。
ある日、家で、子供が目に涙を浮かべて、激しく訴えてきたことがあった。
ポーランド出身のドイツ語教師が、個人的な会話であったが(同級生の前ではない)、面と向かって「あなたはAbiturをとることは出来ない。」と言ったというのだ。
そりゃドイツ語教師から見れば、子供のドイツ語はまだまだだろう、しかし教師の立場にありながら、必死に努力している生徒のやる気を削ごうという何たる暴言!と、わたしは、面談日(学期に1回面談日がある)にその教師を指名した。
子供は「文句を言うと、後々の成績に響くから、やめてくれ。」とすこぶる大人の反応を示し、わたしは「子供のドイツ語能力の向上のために、親は何をすべきか。」という質問でお茶を濁した。
因みに、ドイツ語教師はごちゃごちゃ言っていたが、このレベルでは、親は後方支援で、食事や生活に気を配る以外に、出来ることはない。
あとは、休暇中に希望を聞いて旅行に連れて行って、ガス抜きするぐらいだ。
問題2 Abiturを受けるためには、ドイツ語(国語)と異なる外国語を2つ学習しなければならない。
子供は総合学校では、国語(ドイツ語)以外は英語しか学んでいない。
しかし、Abiturでは第二外国語三年間学習が必須事項だ。
つまり残りの三年間、全く初めての外国語を、もう一つ始めるのだ、(涙)!
子供の通っているギムナジウムでは、総合学校から推薦を受けて、初めて第二外国語を始めなくてはならない生徒は、「スペイン語」一択だった。
通算5年生から始まる通常のギムナジウム教育での第二外国語は、色々なヨーロッパ言語、ラテン語が選択制で、私たちが住んでいた州ではないが、日本語さえ選択できる特別例もある。
しかし、子供の通う学校の選択肢は、「はい、じゃスペイン語始めましょ!」だけである。
それは選択肢じゃないじゃん。
外国語で別の外国語を習う・・・いやはや、もう。
でも子供は適応し、成績は悪くはなかった。
問題3 Abiturを受けるためには、重点学科を2つ選択しなければならないが、ドイツ語能力が不足していると、選択肢が極端に狭まり、圧倒的に不利だ。
Abiturを受けるためには、通算12と13年生(ギムナジウム単独では8と9年生)の2年間に、重点科目を二つ選択する。
重点科目は配点が重くなるし、最終の州の共通テストでは必ず筆記試験を課せられる。
選択は、慎重かつ戦略的に行わないと、ギリギリの低空飛行でギムナジウムをこなしている子供には、最後で、それまでの苦労が水の泡に終わりかねない。
子供なりに必死に考え、英語と美術を選択した(ドイツ語が深く関わる科目を避けたのだろう)。
ところが、お試し期間中に、美術の教師に呼び出され、美術の重点科目選択を外すように忠告されたというのだ。
子供にとっては悲劇だが、美術は作品だけで評価されるのではない。
美術作品を鑑賞し、分析し、評論文を書くことに比重が大きく置かれている。
美術教師の考えでは、この点が子供には無理であって、Abiturでの失敗が予想されるという、真摯な忠告であったらしい。
子供は致し方なく、重点科目を英語と数学に変更した。
わたしは頭を一旦抱えた。
バリバリの理系のわたしは、子供の数学の面倒を既に何年も見ている。
ドイツの学校で数学を学んだことはないが、数学は数学だ。
ギムナジウムの重点科目の数学は、日本で言えば、進学校の理系志望の高校生が学ぶ数学に相当する。
子供の数学脳の限界を誰よりも知るわたしの心の中で、暗雲立ち込め雷鳴が鳴り響いた。
しかし、ドイツ語を絡ませる度合いをなるべく減らす重点科目が、ほかあるのか、わたしには答えは無かった。
Abitur(大学入学資格試験)は、ギムナジウムの最終2年間の全ての教科の成績と、州共通の最終試験(筆記試験が重点科目2+選択1科目の計3科目、口頭試問が選択2科目)の総合点で合否が判断される。
2年間の内申点と、州共通日程で3週間に渡って行われる筆記試験(マークシートとかあり得ず、全て記述式、長時間!)と口頭試問で合否と合格点数が算出され、大学進学に反映されるのだ。
子供は留年せず、転学もせず、内申点を搔き集め、最終試験をもがきにもがいて突破した。
因みに子供は、記述試験は重点科目の英語と数学、選択記述試験は歴史、口頭試問はドイツ語と物理を受けた。
合格点数は、本人には不満があったろうが、Abiturをとった。