毒を吐く その19 ボクシング
職業人としてドイツで働いて、色々なことが重なり、精神的に落ち込んでいた時期があった。
素描したこともある。あの時の状況は、まだ詳細には書けない。
今から思えば、低空飛行から順行飛行へ戻る過程だったと思うのだが、セラピーを受けつつ、気分転換にドイツでジムに入った。
器具を使った運動を指導者から習ったり、自転車型の運動器具を漕いだり、ランニングマシーンで、ヘロヘロと走ったりもしてみた。
ドイツなので、ジムに来る方々の体の大きさと力が全然違う。運動器具の体合わせでは、相対的に小さい自分用に思い切っり留め金をずらさねばならず、次の人は子供が使用したのかと思っただろうし、重りを持ち上げるような器具では、矢張り留め金を物凄くずらすか、重りを全く外し、器具の重さだけを持ち上げたりした。当たり前だが、重りを外した際には、去る前に留め金を「重り有」に刺し直す。次の人が怪我をしないように。
ジム入会者には、人数が限定のスポーツ別コースもあった。本当に様々なスポーツが提供されていたが、わたしはあろうことか、ボクシング初心者コースに空きがあることを確かめて、お試しを申し込んだ。
多分、無意識に現状打破をしたかったんだろう。
お試しの場では、先生にお試しであることを申し出る。ボクシング初心者コースには、リングもサンドバックもない。ボクシングはTVの「明日のジョー」でしか見たことがないが、典型的なものがないのはちょっと不安でもある。先生は小柄なボクシングをセミプロでやっている男性である。試合にも出るが、あちこちで教えることもやっている人らしい。
先ずはストレッチ中心の準備運動。その後は縄跳び。おお、漫画でもやっていたやっていた。ひゅんひゅんと早飛び駆け足だよね。自慢じゃないが、縄跳びは得意なんだよ。部屋の中の7、8人の20・30代の若いドイツ人男性を尻目に、誰よりも早くタッタッと飛び続ける。これだけで、帰宅してもいいくらい疲労と息切れがする。
休憩の合間に水分補給をし、他の生徒の方々は、それぞれ自前のグローブを出して、はめている。わたしにはもちろんないので、暫く手持無沙汰である。
生徒達は、初心者とは言え、その中でも色々レベルがあるらしく、先生が二人一組にして、こうしろああしろと指示したり、一人にして、形みたいなものを教えていく。
最後に先生はわたしの前に来て、どちらが利き手かを尋ね、それに応じた立ち方と両手の構え方を教え、足の出し方を教え、前に出ながら、左パンチ・右パンチ、壁に到達したら、下がりながら右パンチ・左パンチという一連の動作を教え、先ずはそれを繰り返すようにと言った。
大きな部屋の一方は一面鏡になっており、一人で鏡に向かって前を進みながら、左・右パンチ、鏡にぶつかりそうになったら、下がりながらパンチパンチ。部屋を何往復したことだろう。
ボクシングをしたことがないので、数分で両手を胸の前で保つことさえ、辛くなることを知らなかった。素手なのに、肘から上に鉛が入っている様に重くなる。すぐにパンチという言葉が恥ずかしいくらい、単に握りこぶしを前に出したり、後ろに引いたりの、腕の曲げ伸ばし運動になってしまう。こんなのボクシングでも何でもないなあ、このパンチだとお座りの熊さんのぬいぐるみなら一応倒せるだろうけど、それ以外は無理だよ…と内心思いながら、根が真面目なので、決してさぼらず、スローモーションの速度で、先生から指導されたと自分が思い込んでいる動作をずっと続けた。
疲労が頭を空っぽにさせる。いい感じだ。
お試しの最後に、コースへの参加を申し出、許可された。
ボクシング初心者コースに入れてもらって、問題が三つあった。
年齢・眼鏡・グローブである。
先生は、生徒同士を組み合わせて、練習させる場合もある。女性は超少数なので、男女が組んで練習するときもあるが、まあ女性は見てわかるので、相手をさせられた男性は、力が違うから、自然と手加減する。年齢が飛び抜けて最高齢なのはわたしにはわかっている。しかし、先生は、意図的に、生徒の前でわたしの年齢を聞いた。正直に答えると、先生は「年齢の割には凄い(縄跳びが)。」と大声でいい、生徒たちはお行儀よく頷いた。
これで、二人一組でやる練習で、運悪くわたしと組まされた男性は、女性・年寄りという二重手加減をすることを強いられた。申し訳ない。
次は眼鏡。当たり前だが、ボクシングに眼鏡はご法度である。先生はやんわりと眼鏡を外すように言うが、初心者コースは相手の打ちやすく構えているグローブを目掛けて決まった動作と拍子でパンチし、顔や胴体にグローブを当てない。万が一相手のグローブが眼鏡に当たったら、自分の責任だからと言い、眼鏡を外して指の爪が見えない視力を理由に、認めてもらった。これも相手をさせられる人には、迷惑であった。眼鏡を間違ってもかすらない気遣い。本当に申し訳ない。
グローブであるが、自分の腕だけで重いので、更に重量となるグローブがいるのか?というとんでもない質問に、先生は、「自分の拳を守るためにもグローブはあるんだ」という論理をもってきた。「相手に素手でダメージを与えないため」という言い方は、わたしのパンチ力では成立しないからだろう。何もかも逆らわないよう、スポーツ店に行って、一番小さな、手に合う、詰め物が一番少なく軽い練習用グローブを購入した。あれは子供用だったのかもしれない。
本帰国が決まり、ジムを退会しなければならなくなるまでの短い間だったが、二か月参加したボクシングは楽しかった。
本当に辛くて何もできないときには、できないし、しなくていい。
ちょっとだけ元気が出てきて、なんかやってみるかという気になったら、そしてそれが、本当に自分の内側から出てきた欲求なら、今までの自分から想像できないくらい、かけ離れたことをやってみるのは、いいかもしれない。
なああんにもわからないから、無心になって指導者の一挙手一投足に集中し、真似をしようと頑張る。体を疲労困憊するまで動かすと、頭が空っぽになる。所謂、雑念が掃われるのだ。「マインドフルネス」とまで言うつもりはないが、「いまここ」しかなくなる。
ちょっとの間だけだったが、ボクシングは良かった。