くいしんぼばあさん その3 ハイデラバードのビリヤニと顔面水分三重唱
2015年に、当時働いていたドイツから、インドのハイデラバードに出張した。
新規薬剤開発プロジェクトの研究部門からの参加メンバーだったのだが、その薬剤が晴れてインドで登録され、商売されることになったのだ。
こういう場合は、先ず学会で研究発表をして、薬剤の基本的情報を公開する。その後、会社の技術部門や営業部門が総力を挙げて売り込むのが手順である。
ハイデラバードで国際学会が開かれるので、最初の基本情報の公開をポスターの形で出すことになり、ドイツの研究室でその薬剤に関わったわたしに、お役目が回ってきたのだ。
学会でのポスター発表を、知らない方にご紹介する。学会は平日4日間開催される口頭発表が続く日程だ。その中で半日、ポスターを集中的に見て、ポスターの著者たちと議論するために、口頭発表が無い、ポスターだけの発表時間が設けられている。しかし、ポスター会場というのは、学会開催中はずっとドアが開かれているので、著者が傍に立っていなくても、閲覧は自由だ。つまり、口頭発表が無い毎日の昼食時間は、ポスターの傍らに立って、興味を持ってくださる方からの質疑議論に応じるのが、将来の商売を広げたい会社にとっては望ましい。
で、いつもの汗まみれ泥まみれの作業服から、パンプスとストッキング、膝丈より長いシンプルな濃色のスカートに、絹のブラウス、仕上げに口紅という慣れぬ姿と、主に英語と日本語で対応するという慣れぬ脳味噌で、対峙した。まあポスターの著者の一人なので、内容は頭に入ってはいるが…
この学会に参加するにあたり、自分の会社のインド側の世話役は、ドイツで同じプロジェクトメンバーで、インドに帰国したインド人の本部長と、インドの営業部長だった。会社のヒエラルキーから言ったら、まったく釣り合いが取れないのだが、まあインド流の”おもてなし”である。
インド人の営業部長は、二言三言の会話から、わたしがインド英語に不慣れな事、特に商売関係に全く無知であることを素早く見抜き、わたしがポスターの脇に立つときは必ず保護者として付き添った。
ポスターに興味を持つのが日本人のときと、インドを含め各国の学生さん達だと、わたしが説明するのを脇で見ているだけだ。ところが、インド人の学術関係者、公的機関関係者、企業関係者だとさっと前に立ち、あの独特のイントネーションの英語やわたしには見当もつかない言語を駆使して、大声で活躍なさる。ちなみに彼の名はポスターには載っていない。でも、ポスターを糸口に営業活動をしている感が満載だ。そういう場合は、わたしは絶対口を挟まず、隣でニコニコして、「商売頑張れえ」と心の中で応援する。営業部があるから自分の給料が出ることぐらい、純粋培養の研究者のわたしにもわかっている。
ある夜、本部長と営業部長が、夕食をご馳走してくださるという話になった。ランク違いの偉い人たちとわたし一人で、インド料理だ!
お二人は、ハイデラバードで一番美味しいビリヤニレストランに連れて行ってくださった。本部長は、全ての料理をオーダーしつつ、外国人(わたし)がゲストだから、辛くせずマイルドにするんだよということを、ボーイさんに二度も強調していた。
言語と仕事内容のハンディで、食事中の会話が盛り上がる可能性は低いなあと思い、ここはインド料理も話題にしようと、ボーイが去ったあと、わたしは生まれて初めてインド料理をインド式に手だけで食べたいので、教えて欲しいと口に出した。
本部長が、ではまず手を洗いましょうと蛇口の方を指し示した。レストランには、手で食べる文化のインド、日本の様に、言い訳みたいな手洗い場ではなく、学校の手洗い場のように、蛇口が列で並んでいる正式な手洗い場が、食べる部屋の一画にあるのだ。
よおく手を洗い、絹のブラウスのカフスボタンを外して腕をまくり上げた(礼儀に適っていないが、絹をスパイス豊富なインド料理の色に染めたくない)。
左手を食事に使ってはいけないと聞いたが、それは本当か?と尋ねると、絶対に使ってはいけないのだそうだ。でも、ナンや、薄焼きパリパリの小麦でできた煎餅状のものを、口に入るサイズにするときだけはいいでしょう?と聞いたら、右手だけで皿に押し付けながら千切ったり、割ったりし口に入れる大きさにする様を、見せてくれた。
ビリヤニという料理は、今では日本でもあちこちで見ることがあるが、インドの炊き込みご飯だ。スパイス豊富で非常に刺激的な味と香りの複合体、コメは勿論長粒米(バスマティライス)、野菜とゴロゴロの鶏肉が入っている。既に味がついているけれど、更にカレーみたいなソースをかけてもいい。大きな肉の塊の始末も、つい左手で助けたくなるので、左腕を背中に回した。首の下のブラウスの襟元には、ナプキンを挟んで、まるで赤ちゃんのよだれかけだ。でも正絹の一張羅にカレーの染みだけは、嫌だ!
味は素晴らしい。刺激的な最初の香りのあとに、何重奏もの香りと味が複雑かつ美しいハーモニーを響かせ、あとからじわっと辛味が来る。この辛味は、口の中から去らない。二口目、三口目と辛味だけは漆塗みたいに重なるのだ。「美味しい」なんていう単純な言葉では、まったく表現できない。
さて、本部長の命で大変マイルドに料理されたビリヤニだが、当然ただの日本人には、刺激が強すぎる。最初に鼻水が出て、次に涙が出て、それから汗が出る。香りと味のオーケストラに対し、わたしも顔面水分三重唱ノンストップである。
ビジュアル化してほしい。絹のブラウスかもしれないが、袖口を捲り上げ、左腕を背中に隠し、襟元にはよだれかけをして、洋服を汚さないために顎を前に出しながら、不器用に右手で食事をしつつ、絶え間なく、ティッシュで鼻をかみ、ハンカチで額を拭い、眼鏡を外し、涙を拭きつつ、「おいしい、おいしい。ごめんなさい、ごめんなさい。でもどうしても、鼻水も涙も汗もコントロールできないんですう。」という、大忙しのゲストの醜態を。
日本で外国人が生まれて初めて不器用に箸を使ったら、茶碗のご飯に箸を立てたり、箸から箸へ食べ物を渡さない限り、多少のお行儀外れは大目に見るでしょう?
本部長と営業部長は、内心「あ~、あ~、こりゃ酷い、うちの幼子だってここまではしない。なんで手で食べることを許してしまったんだろう。止めさせりゃあ良かった。」と思ったに難くない。
食事は終わり、もう一度洗い場で手を洗わせてもらって(テーブル上のお上品なフィンガーボールでは間に合わない)、ホテルまでお送り頂いた。
日本に帰国しても、ビリヤニという単語をメニューに見ると、どうしても注文してしまう。そして、必ず期待を裏切られて、ちょっぴりの怒りとたっぷりの悲しみを隠して、「ご馳走様」とレストランを後にする。
定年退職したので、出張はもうありえないが、あの、ハイデラバードの街一番のビリヤニを、死ぬ前にもう一度だけ食べたいなあ。
今度はちゃんとスプーンとフォークを使うからさあ。
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