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今は無い国への訪問 その3 最初のDDR(ドイツ民主共和国)②査証と規則と国境

ワイマール・ライプツィヒ・ドレスデンの三都市に各数日ずつ滞在したいという計画を実現したければ、当時、日本人は査証を取らなければいけませんでした。今は死語となった「鉄のカーテン」の向こう側で観光するんですから。

わたしの初めてのヨーロッパ旅行の西側の訪問地である、西ドイツとスイスは、勿論査証なし観光が可能です。学生貧乏旅行ですので、到着日のホテル以外の訪問地でのYHを予め予約して、若い女性(当時)が外国の都市で泊まる場所が無いという危険は避けました。

ドイツ民主共和国大使館は東京にありました。当時「オンライン」は存在しないので、大使館に行って、査証申請書を書いて、確かパスポートも預けました。そのうちに知らせが来て、受け取りに行くと、パスポートの中のぺージに、判で押した査証に日付が入り、特別の印紙に割り印が押してあり、サインがしてある査証を貰えます。

そして大変細かく厳格な規則も知らされます。
西側から来る人間は、先ず、各都市にある外国人用ホテルにだけ予約・宿泊することができ、そこでは、米ドルか西ドイツのマルクでしか支払いが許されません。外国人用ホテルは、設備も東側レベルとしては一流で、「西側レベルに劣らない」ことになっていますが、一泊の値段も西側に劣りません。
また、わたしは行きませんでしたが、外貨ショップ(米ドルや西ドイツのマルクだけを受け取る店)があり、そこには東側レベルとしては、所謂贅沢品が売られています。西側に親戚がいるドイツ人も多いですから、親戚から西ドイツのマルクを融通してもらって、そこで普通の店では手に入らない素敵な物が買えるというわけです。つまりドイツ民主共和国政府は、なんとしても、米ドルや西ドイツのマルクを搔き集めたかったわけです。
それから、強制両替という規則がありました。
西側からの訪問者は、1日当たり20マルクを、1対1で東マルクに両替しなくてはなりません。例えばわたしのようにほぼ10日東ドイツに滞在するなら西200マルクを、東200マルクと交換しなくてはならず、この強制両替した東マルクは、元に戻せませんし、外国人用ホテルの支払いにも使えません。ご飯でも食べるか、普通の店での買い物を強制されます。
国の経済力の違いから、実勢交換レートは、西1マルクが東4~5マルクと言われていました。ブラックマーケットだったら、西200マルクは、東の千マルク程度なわけです。でも、当たり前ですが、公式両替所の1対1交換証明書を出国の際チェックされますから、必ず正式な両替をして、その紙は絶対失くしてはなりません。

ワイマールとライプツィヒとドレスデンの外国人ホテルに手紙で予約を入れ、返事の手紙をしっかり持参しました。当時は学生でクレジットカードなんて持てませんから、安全のため、西側では旅行小切手を使っていましたが、そんなものは東ドイツでは受け取ってくれないだろうと、西ドイツで旅行小切手をホテル代と強制両替分にさらに余裕を持たせて西マルクに現金化しました。

フランクフルトから、いよいよ東ドイツに向かう電車に乗りました。
当時の西ドイツ領域の最後の駅で、西ドイツの濃紺の制服を着た検査官が乗り込み、わたしのパスポートとこの先の東ドイツの査証の有効性だけ、目で検査して、比較的短時間で、出て行きました。コンパートメントに座っていたのですが、他の乗客は全て西側最後の駅で降りてしまい、少なくともこのコンパートメントではわたししか残りませんでした。
次に、緑色の制服の東ドイツの検査官たちが来ました。この人たちの検査は厳重でした。先ずパスポートを持って行ってしまいます。外国旅行では命の次に大事なのはパスポートと言われますが、それを持って行ってしまうのです。査証の真偽の確認と、逃亡の可能性を潰すためと、今なら類推できます。当時、不安感の針は上に振り切れそうでした。
次にコンパートメントを出ろと言われます。でも車外で一息いれるわけではなく、自分のコンパートメントが見えない位置の廊下で待つよう命じられます。これが長い!
検査官が何をしているか、見ることが出来ないので、想像ですが、コンパートメントに査証なしの人間が隠れていないか、また不当な量の西側の品物が隠されていないかを徹底的に探すのではないかと思われます。西側の商品は羨望の的ですから。また社会主義を脅かす思想操作に使われそうな、本、テープ等も探すのかもしれません。
まあ、わたしは貧乏女学生そのままの姿でしたので、荷物を開けて、中身をひっくり返された形跡はありませんでした。検査官もプロですからね。相手を観察して、それに沿って行動するはずです。
やっとパスポートを返して貰い、コンパートメントに戻ることも許されて、座ってまた随分待って、電車は出発しました。
余りの緊張とその後の気のゆるみで、どんな国境だったかは全然覚えていません。写真を撮るなんて、そんな東ドイツでの反社会行動を取る蛮勇は、あの厳重な検査官たちの態度を見た後、薬にしたくてもありませんでした。




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