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不自然な感情をもつこと、強い人とは。 4/100


noteが好きです。


学生の頃から気持ちが重たく、なんとなく息苦しい時によくみにきていました。


グルグルする感情の喚起をしたくて、


色々な人の言葉や、捉え方を取り入れたくて文章を読んでいました。


今ももちろん大好きです。


近い友達には言えないけど、飲み屋の常連にふらっと相談したくなったりするのもそれです。



知らない言葉をかけて欲しい、自分を今の状態から抜け出させて欲しいと思ってしまいます。



悲しい時、切ない時、許せない時、虚無感に襲われてしまった時、など


この感情はいけない、と心が警報を鳴らします。


どうしたら今この状態から抜け出せるんだろう?


そもそもどうすればこんな思いをせずに生きていけるのか?


もっと良い物事の捉え方があるのではないか?


そう感じて、いろんな言葉に触れどんな捉え方でも自分の糧としたいと思うようになりました。


○○で悩む なぜ

⬜︎⬜︎と感じてしまう 対処法



心に違和感を感じたらすぐに調べ、腹落ちさせて理屈で武装する癖がついています。


落ち込まない強い人になりたかったのです。


高校生くらいからでしょうか、



気づいた時には、マイナスな感情に乗っ取られる事はとても愚かで醜いことだと思うようになります。



感情に振り回されないこと


自責思考


言い訳をしない


それが大人だし、強く、そして何より美しい生き方だと信じてきました。


今でもやっぱり信じていますし、嫌いじゃないです。
これもう考え方の癖ですからね。



ですが、自分の大切な人が同じような解釈で世界とやりとりをしているのであれば、
こんな辛い思いは絶対にして欲しくないと思ってしまうのです。


もっともっと優しい温かい言葉で、自分をとらえてあげてほしいのです。


そんな風に思い始めたきっかけは、当時4年ほど付き合っていた彼氏との別れです。

なんだ男の話ね、くだらん
と思わずきいてください。


ガクンと根幹を崩された感覚があったんですよ。


振られた事に、ではありません。


(まぁ一人で熱海まで行くくらいにはリフレッシュが必要でしたが。)


周りの反応です。



別れた報告を友人にしていると予想外な言葉をみんな口にします。


「あなたが"大丈夫"って言うから、そのままにしておくしかなかった。」


「絶対に辛いはずなのに"全然寂しくない"って言うから何も言えなかった。」


「あなた人前で背伸びし過ぎ。もう充分背高いのにずーっと背伸びしてんだもん(本当に少し背が高いのでかけてる。うまい。)」

と。、


振り返れば、友人からの


「遠距離さみしくないの?」

と言う問いには必ずこう返していました


「別に毎日連絡とってるし会いに来てってコントロールする為に付き合ってないし。だから寂しくないよ。全然平気」

と、


だって「寂しい」と一言でも言葉にしてしまったら、自分が寂しい状況だと言う事実が確定しちゃうじゃないですか。


言霊とはよく言ったものです。


言葉にすれば、どんどんその事実がついてきます。


認めるなんて、そんな恐ろしいこと私は出来ませんでした。


"寂しさ"を抱えて付き合っていくよりも、
理想と理屈で塗り固めて感情を跳ね除ける方がよっぽど楽でした。

弱くて怖くて逃げるしかなかった。


恋愛に限らず、ずっとそうやってました。


もちろん逃げる事だって、決して悪いことではないと思います。


正しさなんて誰にもわからないし、その時はそうするしかなかったんですから。

機動戦士ガンダム「水星の魔女」スレッタの言葉が大好きです。

─逃げれば1つ、進めば2つ

スレッタ可愛いね。

逃げを選択したあの期間があるから、
今こうして反省できています。
不自然に感情を塗り替える必要はないんだよ、と自分に語りかけることができます。


でも、進めば2つなんです。


逃げる道ももちろん、あっていい。


だけど、進めば2つです。


わたしが一方的に好きなナリ心理学様

今日記事を読んでいて、腹落ちしました。

だから、
ちゃんと悲しむと、ちゃんと消えていく。


ちゃんと悲しめるから、
悲しみに強くなる。

(省略)


そして、


悲しみを受け入れられる自分になってくると、、悲しみ以外も受け入れられるようになってくる。

ナリ心理学 様 

本文はこちら↓


ちゃんと向き合うことでしか感情って昇華されません。


当たり前です。

不自然な感情で、悲しみを感じない為の理屈で塗り固めても、"悲しさ"は変わらずずっとそこにあります。

一度感じてしまったら、心に作用してしまったら、見ないフリは無しです。


出来ないのですから。


辛いかもしれないけど、ちゃんとみる。


真っ直ぐみてあげる。

そうすることで初めて向き合うことができるし、“進む“ことが出来ると思えるようになりました。


こういった人が、本当に“強い人"であるし、“美しい生き方“なのかもしれないです。