ふわふわと変わっていくものを考える
鳥の声がさわやかに響く、秋晴れの朝。
本を返すため図書館へ出かけた。
村上春樹さんの「一人称単数」という短編小説。
なかなか読み進められなくて一ヶ月も借りていた。
初めて村上春樹さんの文章に触れて、堂々とした力強さを感じた。
一人称視点「僕」で進んでいく物語。
小説だと思って読んでいたが、途中からこれは小説なのか村上春樹さんの実話なのかわからなくなった。
本書のあるお話の中で、「中心がいくつもあり、しかも外周を持たない円」とは何かと問われていた。
「そういう円はちゃんと存在する。しかし誰にでも見えるわけではない」
なぞなぞみたい。でもきっと、深い意味だろうと思った。
そのことが妙に気になってしまい、ふとした時に思い出しては、なんだろう?と考えていた。
お話の終わりで、その特別な円のことを「しょうもないつまらんこと」だと締めくくられていたから、考えても意味がないのかなと思ったり。
正解はわからないけどやっぱり気になって、この日図書館に向かう途中にも考えていた。
考えるのにも飽きてきて、行き交う人や自転車に乗る人、車、建物、木、空に浮かぶ雲などをぼーっと見ていた。
物質ひとつひとつに核となる中心があるとすると、その周りにははっきりとしないふわふわと揺れ動く囲いのようなものがあるのが、イメージとして見えた。
中心がいくつもあり、しかも外周を持たない円とは、単にこの社会のことかもしれないと一瞬見えたイメージから推測した。
中心は、物、人、情報、事柄だっだり、多数存在する。
外周を持たないとは、正解がない、枠がない、変化するという意味かなと思った。
自分はこういう人間だとか、あの人はこういう性格だとか、好き嫌い、正しい間違い、などはその時は存在しても、1秒1秒どんどん変化していくもの。
決めつけて思い込んでいると、苦しくなる。
多数存在する中心といい距離を保ちながら、心地いいバランスをとっていくこと、柔軟な思考でいるのが大事ということかなと思った。
分離ではなく、すべてのものは繋がっていると思うと、外周を持たずに溶け合っている感じもして、なんか安心する。
図書館に着いたころには、自分なりの考えがまとまってすっきりした気持ちになっていた。
正解はないし、この考え方だってまた変化していくだろう。
外側の世界は、自分が重要だと思っているものや見たいものが見えているだけなので、人それぞれ違うように受け取っている。
そう思うと、ほんとに「しょうもないつまらんこと」だったのかもしれない。