透明になる
朝、仕事に行く夫を見送り、片付けと掃除をして、植物に水をあげるといういつもの日課をこなした。
本を返すため、図書館に向かう。
風が肌にあたる感覚が優しい。
日差しも柔らかで、秋だな〜と思いながら歩く。
街路樹の枯れた葉が、カリカリっという音を立てて落ちる。
夏の暑い日差しを浴び続けて、私たちに日陰を作ってくれた葉っぱたちに、おつかれさまという気持ちになった。
突然、「すみませーん」と大きな声で呼ばれて、現実に戻される。
車に乗っている強面のおじさんが、窓を全開にしてこちらを見ている。
何事か!?と焦った。
道を聞かれただけだったが、動揺していたので道案内をちょっと間違えたかもしれない。
あぁごめんね、おじさんと思いながら、無事着けることを願う。
車に乗っている人から道を聞かれたのは2回目だった。
海外ドラマでよく見る、急に現れた車に乗せられて連れ去られるシーンが思い出される。
基本的にいつもぼーっとしてるので、こういう時にびっくりしてしまう。
図書館に着いた。
最近図書館に行くとつい探してしまうのが、今年の本屋大賞ノミネート作品。
今日も全部貸出中だった。
いつかふらっとタイミングよく出会えるのを待ってるんだけど、まだしばらく後になりそう。
何も借りずに図書館をでて、次は畑に向かった。
じょうろでタンクの水をくもうとした時。
目の前に小さな川があり、その対岸の草むらから、茶色くて細長いものがゆっくりと出てきた。
蛇だった。
全身がゾワゾワして、音が消えた。見てはいけないものを見てしまったような。動きたいのに体が動かない。時間が一瞬止まり、私と蛇しかここにいないような、空間が歪んだ感覚。
蛇はどこかへ行ってしまったが、細長いものが得意ではないので、それから思い出すたびに背中がぞくっとする。
畑の野菜に水をあげて、あまり長居ぜずに帰った。
秋っぽくなり、心が少しふわっとして、違う世界に入ってしまったような感覚がしていた。そんな時にあらわれた蛇。
頻繁に出会えるものではないだろうし、いても気が付かないこともあるかもしれない。
家に帰ってから、蛇について調べてみた。
縁起の良いものだといわれているらしい。
とりあえず、ほっとした。前向きにとらえていく。
最近、東洋哲学の本を読んだ。
「すべてはつながっている」という考え方を知った。
私も車に乗ってたおじさんも、図書館にいた人も、蛇も川も植物も、すべてつながっていることになる。
「無我」
この文章を書いているのも「自分」であって「自分」じゃないような。
自分が透明になっていく。
そして、まわりのすべてのものに感謝の気持ちが湧いてくる。
東洋哲学って難しいと思っていたけれど、実はシンプルなのかも。
みなさんの幸せが続きますように。