たのむから尊敬させてくれ
ネットでやたらと論争するのが好きな人たちがいる。
その多くは、自分の意にそわない議論になると、とたんに攻撃的になる。彼らは、いわゆる自分の「正論」を他人にぶつけて、それで済むと本気で思っているのだろうか。
自己の正義感を過大評価している人たちは、自分がいかに厄介な人物であるかを自覚しないらしい。
もしくは、匿名性が高く、物理空間が取り消されたインターネット空間だけが、他人にたいして気勢をあげられる唯一の場所になっているのかもしれない。
私はそのような気の小さい人たちに、ほんの少しだけ同情するが、彼らの執着やアンチ行動を受けとる側、反対者にとってみれば、いい迷惑である。
ふと思ったのだが、こういう人たちの多くは「若者的精神」を捨てきれなかった中高年なのではないだろうか?だからこそ、ネットで暴れることで「若さ」を誇張している…
わたしは経験豊富な年寄りに説教されるのはかまわないし、むしろ積極的に聞きたいくらいだ。しかし、まだ自分のことを若いと妄想している倒錯したおっさんにピヨピヨと絡まれるのは御免を蒙る。
言い換えれば、真の問題は、彼らがなにを言おうとしているのかではなく、彼らの態度なのだ。もっというと”生きざま”というか。懸念すべきはその人が「何を言うか」ではなく、「何をしているのか」なのだ。
あくまで一般論だけど、いっぱしの人物ならば、その行動を通じて自分の真実を示そうとするだろう。彼らは自分のミッションに没頭し、純粋なクリエイターのように振る舞っているのではないのか?
まちがっても他人を「啓蒙」しようとはしないはずだ。そんな暇ないだろ。
まちがっても、みずからが仕事を通じてどれだけ多くを学び、何を経験し、何を成し遂げたかを誇示したり、公然と宣言したりはしないはずだ。
何かお仲間と群れて、「飲み」スタイルでお喋りに興じ、いつか飛躍できる機会を待っている…そんな人間は、ただの偽物に過ぎない。
彼らは単に他の人とおしゃべりをするだけで(えてして、特定した何者かを利用しようとし、エネルギーを吸い取ろうとするだろう)、高く跳ぶ機会を待つだけだ。
お相手が見つかればいいですね、と
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