茂木健一郎先生がよく言及してる一人がレックス・フリードマンである。
あらかじめことわっておく。ワタクシ英語全然わからない。かといって茂木先生の自称生徒としては無視するわけにもいかず、
おなじみDeepLの脅威のパワーをお借りしつつチラチラとは見てたのであった。
なお内容は一貫して容赦ない。愚劣な大衆お断りである。おそらくこの水準の番組を制作するのはポンニチでは不可能である。
なにしろ、毎回のごとく落合陽一や成田祐輔の上位互換みたいなのが出演するのだ。
数が膨大なんで全部は無理だけどアトランダムでちょっとだけアウトプットしていくと、
Demis Hassabis: DeepMind
この回、フリードマンと同じ畑のAIの専門家同士でいつになく会話が弾んでいる(普段のFriedmanは終始眠たそうなんだけど、この回は別)
現在、社会的に注目されている「意識の計算主義」みたいなのとは距離感のある二人だと分かって有意義な内容である。
意識と言っても今のところ「主観」を記述する理論はなく主観/客観の境界線を厳密に引くことは不可能。
あくまでもAIは便利なツール以上のものではない、というコンセンサスというか共通認識がこの二人にはあるのかもなと思った。
動画の後半ではAI技術と「権力」の問題を中心に語っている。こちらのほうが専門家同士の”本音の本音”の部分か。
David Eagleman: Neuroplasticity and the Livewired Brain
上記ハサヴィスさんの言及つながりで紹介してみた。
脳科学の研究者にしてベストセラー作家でもある才人、デヴィッド・イーグルマン氏である。「クオリア」の研究者ってことで主観を中心とした知覚の還元主義みたいな立場。
ここいらが神経科学の前線か。
「主観」ってだれもが知ってるようでじつはよく知らない、あいまいな概念ではある。
氏は特殊なセンサー(リストバンド)を開発してそれを人に装着してもらって、どのように人間の主観的内部体験がつくられていくのか?を調べている。後半はこの主観とクオリアの「拡張」という話が出てくる。
人間の知覚、たとえば視覚も今後は新技術によって「拡張」できる新たな可能性が出てくる。ここらへんVRやメタバースなどの新しい潮流にも目くばせしているの「な」
Jay McClelland: Neural Networks and the Emergence of Cognition
この回も難解だった。
難解すぎて「見る哲学書」の様相を呈しておった。ヒトの根本を規定している”思考の方法論”みたいな話。例の如く、長い。
ほう……(白目)
この世界はカオスでありそのような例外的「思考」の領域に踏み込むことを殆どの学生は拒否する。
そして結局は予定調和(上記でいうところの”死”)に流されていく…と。もっと人間は精神の柔軟性が必要だ。
いや、しかし、いつもこんな感じのノリで毎回数十万~数百万回も再生されてるっていうのは。民度のレベルが違いすぎる。今日においては英語できないやつは知恵遅れ、みたいな世界線というか風潮は確実にある。
ついに英語勉強するときが来たか(1億回目)