自分の弱さを知る(4)
ところで一般に心理学では個人主義は悪しきもの(邪悪!?)とされる傾向がある。いちばん分かりやすく、かつ手っ取り早い例が”嫌われる勇気”のアドラーだろう。
共同体感覚を根本に据える心理学にとって、みずからすすんで集団になかに帰属し、積極的に役立つことを望んでいる者を横目に、その姿勢に対して懐疑的、ともすれば否定的になりがちな個人主義(者)はなんとも鼻につく存在である。
エリクソンの心理学も基本的にそういうところがある。況んや実社会においてもや、しばしばこの手の輩には厳しい視線が注がれるのである。ちなみに個人主義の反対はネットで調べた範囲でいうと集団主義であるらしい。私個人の感覚では、そうかな?という感じがしないでもないが、
ともあれ「個人主義(=傲慢)」対「集団主義(=謙虚)」の図式は、もはや全世界共通といえるかも知らん。謙虚さというものに、人々は賛辞を惜しまない。そしてその反対の傲慢は嫌われる理由の筆頭だ。
ただし一言で個人主義といっても、個々人の思想信条によってかなり振れ幅がある。集団に対して感情的な反発心を隠さないタイプと、ただひたすらドライなタイプとに別れる、云々。その性質をじゅっぱひとからげにするのは不可能である。
また社会の動向・変化によってもその評価にどんな意味を持つか予想できない。かねてより私が好んで論う「80年代」の話でいっても、当時のバブルの活況のまっただ中で個人主義はけだしダサいものと見なされていたのは容易に推理できるが、その後の10年、つまり90年代は時代閉塞の状況を反映して、個人へのとじこもりがモードとしてはっきり表れたのである。
では今日の尖端的存在たるネット民は?といえば、あきらかに、このような両義性のうちに生きている。
<続く>