安藤裕子/JAPANESE POP
仕事中に、「いとしのエリー」をじっくり聴いてたら、歌詞が意味不明でだんだん腹が立ってきた。
「もどかしさもあなたにゃ程よくいいね」って、何なんだよ…
桑田ぶっ飛ばしたい。
昔から好んでJ-POPを聴いている。
その時は恰もテレビ番組やアニメを見るような心持なのだ。J-POPは複合的なエンターテイメントであり、ちゃんとしたレシピが用意されている。逆に言うと、そうでなくてはならない。
聴く人が聴けば、歌詞のみならず、音楽のコード進行にも「ストーリー」があることはわかるだろう。小説にノヴェル、ロマンス、アナトミー、、、と物語の「型」があるのと同様に、J-POPも「型」の「引用」で成り立っている。
J-POPは形式主義である。それを鑑賞の俗悪と捉える向きには、単調な、定型の繰り返しに写るかもしれないし、その認識は間違いではないが、この際、そんな茶気の無い人達は無視してしまおう。
とくに愛してやまないのが、小西康陽の仕事である。
小西は音楽と歌詞を調和させるのがじつに巧い。達者といえる。「夜をぶっとばせ」「これは恋ではない」「日曜日の印象」、、、このタイトルの秀逸ぶりはどうだろう。
作詞とは、突詰めると音と言葉の親和力の操作である。J-POPの「エンターテイメント性」の根幹はここにあるように思う。と同時に、ゼロ年代以降J-POPがゆるやかに「衰弱」していった原因もここにあるように思う。
近頃のJ-POPは、ナンだろうね、歌詞が耳に残らない。
宇多田ヒカルや椎名林檎のような重量級の才能でさえ、最近の作品は心に響かない。かつての彼女たちとは千年の隔たりを感じてしまう。
米津玄師にいたっては日本語がおかしいといわざるを得ない。あんなものよりも、いまだに玉置浩二とか小沢健二とか達郎を聴いてしまう。
J-POPは萎えてしまったのか?
まだ学生だったゼロ年代前半は、インターネットやら動画配信やらと、そんなものは全然普及していなかった。アルバイトで稼いだなけなしの3000円でCDを買う、その営為がいちいち一大事だった。
それはそれは慎重に検討して「今月の一枚」をチョイスしたものだ。今ではあまりにも簡単に無料で聴けてしまうので、ありがたみがない。だから、というつもりはないが、2010年代に入るとYouTubeで過去の作品ばかり聴くようになった。
音楽そのものは相変わらずみんなの宝だが、ビジネスの規模は確実に萎んでいる、、、としか思えないのだ。
90年〜ゼロ年代に青春を謳歌し、タワレコに毎週通ってCDを何枚も買い、勉強はしないがミュージックマガジンとロッキングオンだけは隈無く熟読していた自分はそれが肌感覚で分かる。
もうCD買わないし、ライブにも滅多に行かなくなり、音楽雑誌の立ち読みすらしない。
渋谷にはHMVもなければ(今あるbooksのことじゃない)、ブックオフすらないじゃないのよ。
渋谷は、すっかり遊び方がわかんない街になっちゃった。
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思春期以降に熱狂的に音楽を聴くようになったのは、カンペキにTSUTAYAのせいだ。
中学の時(1998年頃)にはすでにして、テクノ/ハウスを借りまくるようになり、ついでにヒップホップにも開眼していっちょ上がり。いろんな音源をサンプリング/解体し尽くして、飽和した90年代後半~ゼロ年代前半だったが、停滞期に現れるスゴ玉というものもあって、
菊地成孔やマッドカプセルマーケッツ等々、極北にむかって突っ走っていたアーティストもけっこういて、リアルタイムで聴いてて、ギンギンに興奮していた。
それに90年代とは違って大衆の耳も訓練されて、複雑な音響構造を持つ作品も、ちゃんと理解されてヒットするようになった。これもTSUTAYAの手柄なのではないか。
口ロロとかHALCALIとか、椎名林檎の「勝訴ストリップ」、宇多田ヒカルの「DEEP RIVER」あたりの、
あの頃のJ-POP作品は今聴いても十分にアバンギャルドであるうえに、音にジャブジャブお金を投入してる感じで、やたらとリッチである。
J-POPがアバンギャルド化したあの一瞬は、巨大産業だった頃の最期の徒花だった気がする。
ご存知の通り、現在のTSUTAYAはおしゃれな図書館のようになっててイイ感じではあるものの、CDレンタル事業はというと、音楽のウェブコンテンツ化の波に飲まれ縮小の一途をたどっている。
音楽は「モノ」から「デジタルデータ」へという、とっくに自明視されてたこの流れも、そろそろ(いい加減?)補完しそうだ。
べつにいまの音楽ビジネスの形態が儲からないと主張したいわけではないのだが、モノとしてバシバシ売れまくっていた頃の、昔の音楽ビジネスが、異常に儲かっていたのだと思う。
誰でもポップ・ソング
今日では、誰でもポップソングを作る事ができる。
今日では、誰でも安価で高性能なDTMソフトを手に入れる事が可能で、自宅がスタジオとなるのである。そしてな、なんと!ボーカロイド歌ってくれる!
パラダイムシフト級の大発明。 地下で燻ぶっていた「声なき声」たちは、ついにその声をも手に入れてしまった。ウェブ上の動画共有サイトでは、今でも矢継ぎ早にベッドルーム・ポップソングがリリースされている。
そして一家に一台DTM端末の時代が、くる!
お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、妹、弟、さらには、おじいちゃん、おばあちゃんも、みんなポップソングを作るのに夢中になっている。
音楽に興味がない人でもポップソングは作る。 ヘタしたらミュージシャンが制作したそれよりも、より素晴らしいものになる可能性を秘めている。より素晴らしいとは?
「このフレーズ、どう?」「キャッチーだね~」
つまりこの了見。 コンテンポラリーな感覚そのものが、現代では「キャッチュ」「ポップ」と名付けられているに過ぎない。現代において当たり前の感覚、ということ。
「人は、当たり前のことは、記録に残さない」とけだし名言を吐いたのは井沢元彦であったがおそらく数百年後は、「ポップ」という言葉は消えてなくなっているだろう。
むろんその言葉を頭に冠している雲霞の大群ごとき「ポップソング」たちも、言葉と運命を共にする事になるのは火を見るより明らか。
ポップソングと音楽の間には無限の距離があるのだ。こういう言い方は、酷なのだろうか?
安藤裕子は救世主かもしれない
10年代で区切ると、一番好きなアーティストは安藤裕子だ。
幸の薄そうな、少し陰のある顔が好きだ。表情は、時に妖艶にまたある時には無邪気な少女のようにもなる。そういえば、ミュージシャンになる前は女優だったというのも妙に納得する。
初めて聴いた曲はドラマのEDだった。「サリー」。
不思議な歌詞だ。
「you」と呼ばれている者は、安藤裕子の想念としての「あなた」であり、現世に存在する者ではないのだろう。バックでハモンドオルガンが鳴っている。
転調してモダンなポップスになる。日本語詞になり風呂に入って靴ずれした親指の付け根がしみる、と歌いはじめる。「新しいクツあなたのためにはいた」からだ。
ところが「散った恋は散った」
突然、天空から現世に引き戻されるようだ。その緩急が素晴らしい。イデアとしての「you」と現世に存在する「あなた」が乖離して「アワになって」散る。
ここではアイディアリスムとリアリズムが交差し現世の諸々の感情から離れた、内なる感覚が高揚している。
この素朴ともいえる詩情が安藤裕子の音楽には横溢している。
“素朴さこそが、もっともよく情熱を表現できる”といったのはたしかエドガーアランポーだったか。
「ポップ・ソング」のはるか彼方へ
「私は雨の日の夕暮れみたいだ」のamazon商品ページを見ると、デビュー前に書かれた最初期の作品であると解説されている。安藤裕子は最初から安藤裕子だったのだと、一人膝を打つ。
アルバム「JAPANESE POP」は、おれの音楽に倦んだ耳にアウラを感じさせた稀有な作品であった。
けっしてやすっぽい癒しを与えない、時にグロテスクでさえありながら(なにより歌詞が怖い)、聴く者を奥へ奥へと引き込んでいく彼女の才能がド炸裂している。
氾濫するポップソングの地平で、音楽そのものとしての歌すなわち、素朴な、陽気で、優しく、荒々しい歌を歌うこと、それを何より独りよがりではなく、ポップな地平で成立せしめることは、いまだに可能なのか?
この困難かつ崇高な問いを手放さずに、一身に担っているようにさえ思える。安藤裕子は雄雄しい。
安藤の生涯のディスコグラフィーのなかでも最高傑作となるだろう「JAPANESE POP」は、それまでの作品との切断もある。
「マミーオーケストラ」から「New World」「Dreams in the dark」「アネモネ」の流れに顕著であるが、分厚い音の壁のような管弦楽のアレンジがそれである。
ビートルズの中期から後期にさしかかったあたりの変化を想起させる。また「健忘症」にはこれまでにない、重くジャジーな感覚が突如現れたりする。ホワイトもブラックもイエローも混じっている。
このクロスオーバーなセンスはそれまで安藤作品には聴かれなかった新しい境地である。
ミュージシャンやアーティストや芸能人よりも、youtuberやインフルエンサーの方が人気者になってしまい、「J-POP/オルタナティブ」という対立図式すら霧散した今日において、安藤裕子は日本のポップ史の財産を全部使いつくす形で対応しているように思える。