![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122143691/rectangle_large_type_2_491f8ea38701178c9957a147200c8470.png?width=1200)
がんばれツイッター大学人
主にツイッターを主戦場とし、情報発信につとめる大学人達「ツイッター大学人」は、とくに昨年のロシアによるウクライナ侵攻以来、国際政治界隈を中心に広く知られるようになった。
彼らは激論を引き起こす技術をマスターし、ソーシャルメディア上で怒りを巧みに表現する専門家になることで、論壇のみならず、ネット民たちの需要に応えてきた。
しかし勘違いしない方がいいのが、このような物議を醸すエンターテイメントは、別に新しいものでもなんでもない。太古の昔よりいた辛辣なコメンテーターという類型はジャーナリズムの祖先でもある。
だから、そのようなツイッターの運用を「私的な目的の為に、公共性が度し難く濫用されている史上初の遊び場」、
等と非難するのは、当たらない。いつの時代にも、この手の言論人はいたし、くりかえされてきたのだ。
彼らツイッター大学人にとっては出版界のことなどお構いなしに、公然と議論できる自由を謳歌できることは、まったくもって歓迎すべき事態であろう。
ちょっと前にYOUTUBEか何かで東浩紀が言っていたように、こうしたツイッター大学人たちの議論は、その意図と調子において低劣を極めているのだけど、まあそういうものである。
特にネット民から認知度を獲得することに成功した”スター大学人”にとっては、ツイッターはほとんど「やらなければならないこと」(=公務)であり、そればかりではなく、完璧な相互扶助システムだ。
光の速さで議論に突入し、(おもいっきし辻斬りできる)反論者があちこちにいて、日々、知恵比べが繰り広げられている。アテンション・エコノミーの天国と地獄へようこそ。
かくして、パンドラの箱はすでに開かれている。
ところがコロナ過以降、ツイッターに地殻変動が起きているらしい。新しいタイプの論客が、討論のシーンを席巻しているらしいのだ。
彼らは、アカデミズムの原則や出版業界のしがらみ、社会規範など、どうでもいいという有利な条件を持っている。言い換えれば、従来の論客たちが偽善性を帯びるとするならば、新しい論客たちは露悪である。
辛辣で、このうえなく慇懃無礼ないじわるさの他に、時にウィットに富み、人間行動を観察する術に長けている。そのうえメディアの使い方も上手いときたら、注目されるのも無理はない。
こうした新たな力学が働く中”プレデター”は新戦術と方法で武装し、獲物を探してインターネットを徘徊している。
現在”ツイッター大学人”はツイートで自己の道徳的優位性をアピールすることに必死だが、おそらくモニターの向こうでは、いつも小便ちびりそうな顔でキーボードを打ち込んでいるに違いない。
わたしは、刮目して見ている。
果たしてツイッター大学人はこの敵を「ゆるせる」のだろうか?と。