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評論ノオト

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時代考察/評論。形式やテーマも特に決めず、自由気ままに、さまざまなジャンルをあつかう。柄にもなく気のきいたこと書こうと頑張っている時もある。
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ヤンキーの時代|10年代とは何だったのか

未来の歴史からふりかえった時、"10年代"は時代の決定的な転換点とみなされるだろう。 それを…

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「おやすみプンプン」を読む|完結|

「おやすみプンプン」には「甘えの構造」がある。 これは、「高校生編」での母親との死別後に…

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ケーキの切れないプーチン

今日日「多様性」について誰が何を語りうるというのか。 「多様性」というコトバはじつに便利…

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現代文学のアウラとは何か?

「小説」と「物語」の違いについて、わりと真剣に考えたことがある。 小説は「説」であり、物…

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しっかりしているのか、ボケているのか

人生とは、科学がどんなに進歩しても、完全には説明できないものだ。もし誰か科学的知見に従う…

おまるたろう
11か月前
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人の陰謀論を嗤うな

この国に変化はいらない。 この国に進歩はいらない。 だから「若者」もいらない。 わたしはお…

おまるたろう
10か月前
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視点の転換期

むかし、西部邁が戦後、知識人たちはみな興味関心が国内にばかり集中している、というようなことを言っていた。今だって日本の知識人やオピニオンリーダーはそれに倣っている。彼らの主戦場はいまやXやYouTubeのようなプラットフォームであるのだが、ワイワイと大喜利をやってるような感じでも、この西部邁的呪文からは逃れられない。 近い将来、AIがどんどん進化して言葉の壁を取り払われたとき、この「悪い場所」にようやく風穴が空くかもしれないと、思うことがある。現在、わたしが注目しているのが