きづかい

 今の世の中は、様々な事象に対して気を遣わなくてはならない。人種、国籍、LGBT、ハラスメント等々・・・コンプライアンスなどという言葉をあちらこちらで耳にして、企業や組織がこれらに気を遣い発言や行動をするだけでなく、SNSを通じた個人の発言においても、十分に注意をする必要がある。

 とは言え、まだまだ世の中には本来気を遣われて然るべき立場にいる人間が、まだまだ気を遣わられず傷つけられている。ここでは、皆様が知らない間に、誰かを傷つけてしまう前に、そんな立場にいる人間の心の声を聞いてもらいたいと思う。 

 皆様は日々を過ごす中で、きちんと童貞に気を遣えているだろうか。童貞というものは年齢を重ねれば自然に消滅をするものだと、心のどこかで勘違いをしているのではないだろうか。自らも昔は童貞であったことも忘れ、今もなおあの時の青い葛藤を抱えながら生きている人間がいることをきちんと理解しているのだろうか。そんな童貞の心を忘れてしまったヤリ○ン共に、童貞への正しい接し方をレクチャーしていこうと思う。

 まず初めは、物事の本質を理解して頂くための例題から入る。ある所に、プロ野球選手を目指している少年がいた。その少年は野球を始めたその瞬間から周りの人間の何倍もの練習を重ね、全ての時間と労力をプロ野球選手になるために捧げた。しかし運命というものは残酷であった。その少年はプロ野球選手になるどころか、高校の野球部でレギュラーを獲得することすら叶わなかった。少年は野球を諦め、大学へと進学した。そこで出会った野球を全く知らない同級生が、少年の半生を聞いて、こう発言した。

 「なんでそんなにプロ野球選手になりたいなら、大学なんて来ないでプロ野球選手になればいいじゃないか。」

 なれるものならプロ野球選手になりたかった。しかし、自分の才能に限界を感じ、その道を諦めた。そんな少年の苦悩も知らず、少年の同級生はなりたいものにならなかった少年の判断に理解を示さなかった。

 おわかりいただけただろうか。ここで取り上げる童貞というのは、この少年と全く同じなのである。別に色恋や性的な事に興味関心がない訳ではない。寧ろ、暇さえあればそんなことで頭を一杯にして、どうすれば童貞という名の重い十字架を捨て去ることが出来るのか試行錯誤しているのである。にも関わらず、守りたくもない無垢な貞操を不本意ながら守ってしまっているのである。

 プロ野球選手という立場は、世間一般的にそこにたどり着くことが非常に困難であるということが認知されているため、例え野球に全く興味が無い人間であっても、プロ野球選手になる夢を諦めた人間に対して、少年の同級生のような発言をする人間はいないだろう。しかし、こと恋愛に関して同じような認識をしている人間は、果たして世の中にどれだけいることだろうか。童貞にとって彼女を作り、性行為にたどり着くということは、プロ野球選手になることと同様に、非現実的なことなのである。

 昨今、男女問わず気軽にプライベートな質問をすることが憚られるようになってきている。「彼女いるの?」なんて質問を、男性同士の間でも簡単には出来なくなっているというのが現実ではある。一見すると、これは童貞にとって好意的な出来事のように思われるかもしれないが、それは大きな間違いである。

 先程の「彼女いるの?」という質問の問題点は大きく二つある。まず一つ目は、男性は女性を好きになるのが当然という偏見が含まれていること。そして二つ目は、恋愛に関する話題は老若男女問わず盛り上がれるであろうという思い上がりである。彼女がいるのかというのは、男性は女性を好きになるという偏見が前提の問いかけであるし、恋愛に興味のない人間にとってはこの質問自体に面白味を見いだせない。それこそ、野球に全く興味がない人間に対して昨日のプロ野球の結果を尋ねるようなものである。

 さて、「彼女いるの?」という質問を通じて、同性愛者の方、そして恋愛に全く興味がない方を傷つけてしまうかもしれないことが分かった。この質問を控えることは即ち、これらの人々に対する「きづかい」となる訳だ。しかし、お気づきの方もいるかもしれないが、この質問を控えた所で、童貞に対する「きづかい」にはなっていないのである。

 ある程度の年齢まで童貞という名の十字架を背負った男が取れる選択というのは、開き直って童貞であることをいじられ代にするか、童貞である事実をひた隠しにするかの二つに一つである。前者であれば「彼女いるの?」という質問がなければ童貞開示のチャンスを失うこととなる。後者であれば質問されなくなることによって童貞であることがバレるピンチが減るかもしれないが、本質的な問題の解決には何もなっていない。

 童貞にとってのゴールは、童貞を捨て去ること以外に他ないのだ。

 結局どうあがいた所でこれ以外に童貞が自己嫌悪から抜け出す術はない。逆に言えば、日頃の努力は全て童貞喪失のためと言っても過言ではない。しかしながら、努力をしたところで未だ童貞であることが、童貞喪失という観点から見た時にその努力が無意味であったということを証明している。つまり何を言いたいのかと言えば、彼女の有無を問う質問を控えるなんて生温いやり方ではなく、もっと大胆な手法を取らなくては、童貞の心は守られないのだ。ただでさえ、童貞であるという事実に日々苦しめられているのだがら、せめて周りの人間位には多少の心遣いを受けてもいいはずなのである。

 前置きが長くなってしまったが、ここからは実際にどういうどういった事象に対して童貞が傷ついているのか、どういった行動を控えるべきなのかについて述べていく。

 まずなんと言っても、童貞は街でカップルとすれ違う時に途轍もない負のエネルギーを生み出す。そのエネルギーの出力は、電力に変換するテクノロジーさえ発明されれば、世界のエネルギー不足、並びに環境問題の解決に近づくのではないかと思える程莫大なものである。残念ながら現時点ではそのテクノロジーはないため、この莫大なエネルギーを無駄使いしないためにも、街中で男女が並んで歩くことは、童貞のために控えるべきである。さらには、テレビドラマ、映画、漫画、アニメなどで恋愛を取り扱うことは、童貞のためにも控えるべきである。このような作品を通じて、恋愛が素晴らしいもの、楽しいものであるという認識が世間に浸透すれば、恋愛をしたくても出来ていない童貞はより劣等感を覚え、更なる自己嫌悪を招く恐れがあるので、一切の恋愛描写を禁ずることが望ましい。他にも童貞を守るためには様々な施策があり・・・

 さて、前の一文を読んだ方々、いや、何かの間違いでこの文章に目を通してしまった人々は、筆者に対してどのような印象を抱いたことだろうか。多かれ少なかれ、正気の沙汰ではないと感じた人がほとんどなのではないかと思う。しかし、私の論じた童貞への「きづかい」。この童貞という部分を他の言葉に切り替えれば、童貞への「きづかい」としてあげた具体例と同じレベル、もしくはそれ以上の「きづかい」が今の世の中には横行しているのではないだろうか。私は、その風潮に対して意見をしたい訳ではない。特にこの日本という国はハイコンテクストであり、言葉にせずとも察する、目に見えない相手を意識して行動するというのは美徳であると考える。しかしながら、少数派だの弱者だのと勝手に括られた中にいる人間は、みな同様である訳ではない。何で喜び、何で怒り、何に哀しみ、何に喜びを見出すかは人それぞれである。

 童貞に対する正しい「きづかい」があるとするなら、童貞かそうであるかで判断せず、一個人として相手との接し方を考えることであろう。

 

 

 

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