ボクは違う。
母の教えは自分の中に記憶されている。
それを人のために生かすことに、何のためらいもない。
母は、人にものを教える職業だったから、
そこで培ったことをボクにも教えてくれた。
正座をしたときに、「足が痺れにくくなる方法」も聞いた。
ボクには効果はなかったが、地元のラジオに投稿したら、
すぐ実践した人がいて「全然痺れなかった」と投稿してくれた。
父は野球部のエースだった、しかも名門校のエースだ。
だが切り札をすぐに使ってしまうこともあった。
父の現役時代など知るはずもないが、
そんな性格でよくエースでいられたと思う。
が、父譲りの体力は役に立っていた。
ボクのなかには、父の受け継いだ「達筆」と、
母の持っていた「文才」が同居しているらしい。
そしてイラストもかけるし、分析する力もある。
分析力が発揮されたのは、「ギャンブルにおいても」だが、
ボクが発見したパチンコの攻略法を知人に教えたら、
そいつが「いい気になり」ふれまわり、
パチンコ屋さんに対抗策をとられてしまったことがある。
ゆえに、お金に関することは、たぶん人にはもう教えないだろう。
人を信じられなくなったきっかけにもなったし・・・
でも、人に知ってることを教えるのは楽しい。
母が「買い物は楽しい」と言っていたが、
それは、余裕のあるとき限定だろうが、たしかに楽しい。
それと同じくらい、教えることは楽しく感じる。
たとえ伝わるペースが遅くても、理解していくのを見ているとうれしい。
子育てというのは、そんな感覚なのだろうか?
ボクは恋愛経験も、ろくにないけれど。
「ボクは父とも、母とも違う。」
だからといって、すべて自分の利益のために、
知識のすべてを使おう、とは考えない。
でも、父のような不器用にも、母のように献身的にも生きたくはない。
「自分の思うがまま」に生きていきたい。
わがままな性格なのでしょう。
情報を持っていれば、有利にいられる現代で、
「一時的にいい思いをするために、それを使うことなど馬鹿げてる」、
と思うから大切にして、切り札は「ここぞというとき」に使うつもりだ。
それも人生をうまく生きるコツのようなものと考えているから。
でも「策士・策におぼれる」という言葉もあるらしいから、
慢心はしてはいないが・・・
臆病さも同居しているボクの未来はどんなものになるのだろう。