チャレンジ
「車に轢かれそうになった」ことがあるらしい。
母が教えてくれたのだ、幼い頃に轢かれそうになったと・・・
自転車を運転していて、ぶつかったことがある。
相手はおばさんだった。お年寄りも同乗していた。
「自動車は止まるもの」と考えていて、はねられた。
3メートルくらい上空にはねあげられた。
上空で下を見下ろした、次の瞬間には受身の態勢で着地していた。
自転車はぐちゃぐちゃに壊れていた、新しいものを買ってもらった。
「1万円ください」と言ったら、もらえた。リッチそうな女性だった。
それで、帰宅した。精密検査も受けなかった。いまもそのままだ。
しばらくして、事故現場を通ったら信号機が設置されていた。
ぼくが30歳くらいのときの出来事だった。
車の免許を取りに行ったとき待たされた。・・・右手指のせいで。
悲しくて、逃げるように帰り、ゲームセンターで心の傷を癒した。
2回目も免許は取れなかった、そもそも取る気はなかった。
帰りにゲームセンターによることだけが楽しかった。
「免許を取りなさい」と会社で言われた。
「300万の車をやる」と書いたときのことだ。
人事の人が「車の免許も取れない人は仕事もできない」と
考えているということは「アルバイトニュース」で知ったから
いつか取ろうとは思っていたのだが・・・
ボクが学生の頃は「サーキットの狼」という漫画が流行っていたり
中学の教師が「箱スカ」とやらに乗っていたりして、車に乗ること・うまく運転できることが、一人前の男であることのように考えられていた。
が、ボクはどうでもよかった。関係なかった。
それで女性の心をつかむ気もなければ、ファッションにも興味はなかった。
女性とは仲良くしたかったが、恋愛というものも、よく知らなかった。
成長が遅いのはいまでも同じである。
免許は30万円かけて取った。現役高校生のようにはいかなかった。
「オートマ限定免許」も出たした頃だった、と記憶している。
従兄弟には「教習所は運転方法を教わるところで、あとは運転しながら覚えていくものだ。」と教えてもらったが、車を買うお金もなく、保険に入るお金もなく、ペーパードライバー暦だけが長くなっただけで、更新費用・視力検査で引っかかることを理由に、一昨年前に免許を返納した。
父は「運転なんか簡単」と言っていた。
父は難聴のため、踏み切りでも一旦停止せず、クラクションをやたら鳴らしていた。乗っていて嫌な気分になることがよくあった。
浜松へ来たばかりの頃に「浜松の地理が覚えたい」と思い、『タクシードライバー』になった父だが、お客として乗るときは、必ず直線距離で一番近い道を選択しない『タクシードライバー』には、文句を言う癖があった。
やはり従兄弟が「大阪では、赤は注意して進めだ」と言っていた。
「・・・そうなんだ」と思った。地域により違うのかと思った。
教習所では、直線でスピードを上げ、カーブの手前で落として曲がることを
練習したが、カーブの途中では腰が浮いてしまった、何度も(×?)。
それに右手と左手の長さがけっこう違うので運転には適さないと判断した。
が、最近考えがかわり、極度に周りに迷惑さえかけねば良いと思ったので
またいつか免許を取りに行こうと思うようになった。
「あおり運転」が増えても気にせずにいようと思う。
最近知り合った老人は「時速10キロ以上は出さない」と言う。
こいつにも「運転する資格」はないと思うのだが・・・。
時間にゆとりさえ持てばよいと結論付けた。
そのためには、うまく時間を使うことが大切だ。
急いで、それが原因で事故を起こすことはないと思う。
・・・冷静に・冷静に。車は凶器にもなるから。
同乗者に何か言われても怒ってはいけない、冷静に。
・・・注意一秒・ケガ一生。(障害は厄介だぞ)
ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。